音楽:「カート・コバーン」の遺書~ロック・ミュージシャンとしての最も重い罪とは

※最初にご留意いただきたいのですが、あるロックスターの亡くなったことに関するお話で決して明るい内容ではないです汗

1980年代後半から1990年代前半にかけて、一世を風靡した「グランジ」というロックの音楽ジャンルがありました。その始祖にして頂点に立った「ニルヴァーナ」というバンドのフロントマン(ヴォーカル&ギター)に「カート・コバーン」というカリスマにして伝説のロックスターがいました。まず音源をご紹介します。

●ニルヴァーナ - スメルズ・ライク・ア・ティーン・スピリット:

—(ここは前説なので読み飛ばしていただいても大丈夫です)---
このカート・コバーンという人は、ロックのマインド的な神髄である「既成権力・固定概念への反骨・反抗」という気持ちを強く持っており、「大衆(既成権力)に受け入れられることの無い」音楽を施行し、創作しました。
グランジは、それまでの「ポップ」「美しい」「売れる」「夢・希望」を歌った音楽に対抗する形で、「激しい」「うるさい」「汚い音」「絶望」ということが特徴の音楽でした。

しかし、当時の社会情勢やこれまでの「売れる」音楽が似たり寄ったりになりだしており、いい加減に飽き飽きしていたリスナーが、彼らの新しいサウンドを、カート・コバーンの意図に反して非常に評価するとともにメッチャ売れてしまいました。

それにつけ、カート・コバーンはイケメンで、ファッションの面でも注目を集めたことで、メディア露出を求められることも多くなってしまったことから、そのような「ポップ(大衆的)」な他人が作った偶像に対する反抗として、「次は絶対に売れないアルバムを作る」と意気込んで制作したアルバムも、メチャクチャ売れてしまいました。

こういった、音楽を始めたときの自身のマインドと大衆から求められる「ロックスター」という偶像との間に挟まれ、追い込まれ、徐々に心が蝕まれ、最終的には27歳という若さで自死してしまいました。

その際に彼は殴り書きの「遺書」を残しており、一般に公開されています。
アーティストとして、ひとりの人間として、何が彼を苦しめたのか?自分で自分が許せなかった「罪」とは何だったのか?
当該の遺書から抜粋・要約してご紹介します。

---(ここからが本題)---
〈カート・コバーンの遺書(抜粋・要約)〉
自分はもう音楽を聴くこと、作ることを楽しめなくなってしまった。
ステージ裏に戻って、ライトが消え、ライブの後の聴衆の歓声も「フレディー・マーキュリー」(バンド「クイーン」のヴォーカル)のように、喜び楽しむことは出来ない。
フレディー・マーキュリーが羨ましいよ。
自分だってみんなに嘘をつくのは嫌だ。
『自分が考える最も重い罪とは、100%楽しいと嘘をつき、そういったふりをして、みんなを騙すことだ』
今は、ステージに出ていくときに、タイムカードを押している気分になるんだ…
---

この遺書の内容が決定打となり、グランジという音楽ジャンルは、ほぼ消滅してしまいました。
(「カート・コバーン」というカリスマが居たから支持されていたという面もあると思います)

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