話すことば、書くことば
エフエムラジオ局で6年間、番組制作と話し手の仕事をしていた。
番組制作は、どんな内容をどんな時間帯で、誰がどのように伝えるかを企画し、取材をしたり、その音声素材の編集作業を行うものである。
話し手の仕事は、原稿を読んでニュースを伝えたり、ナレーションをしたりする、いわゆるアナウンサーとしての仕事と、番組でメッセージを読み上げて回答したり、最近の出来事を喋ったり、ゲストにインタビューをしたりと、もう少し幅広いパーソナリティとしての仕事がある。ラジオ局での仕事は、それらを行ったり来たりするものだった。
「パーソナリティ」は人となりを意味するように、その人の普段の生活や考え方、ちょっとした口癖や感情が声に乗るので、正確なイントネーション、聞き取りやすい発声といったことだけが重要というわけではない。そこに、面白さや難しさがあるといえる。
話すことばは、生ものだ。
例えば、ラーメン屋さんの取材。さぁ、ラーメンの丼が目の前に運ばれて来た。まず、その見た目をどう説明するか。次に、スープを飲むか麺をすするか。香りは、味は……。それらを数秒の間に言葉を選び、声に出しながら、次の言葉を選び続けなければならない。
普段、丼を目の前にすれば、反射的にれんげを握ってスープをすするし、その時に味の感想はするっと出るものなのに、マイクを構えた瞬間、どうも思ってることとは違う言葉が出て来てしまう。かといって、とっさに「わ!美味しい!」では、映像がないラジオの場合「一体どう美味しいんだ?」と聞き手はツッコミを入れるだろう。
話すことは誰もが日常的に行なっていることだが、わかりやすく、魅力が伝わるように話すことば選びには、場数とことばのバリエーションの引き出しが必要である。正解は、状況や聞き手によっても変わるわけで、ラジオを離れ、フィールドを変えて話して伝える仕事をしている今も、その面白さや難しさを日々実感する。
そんな話すことばについて、こうして書いて綴っているが、書くことばの良さは「推敲」できることだ。文字を選んで、変えて消して、より良い表現はないか考えを巡らせる時間があること。必ずしも時間をかけたり寝かせたりして良くなるとも言えないが、吟味できる楽しさがある。そして、書く言葉にも、書き手の考え方、ちょっとした癖や感情が乗るものだ。
これを書いているうちに、鍋にかけていたインスタント麺が湯立ったようだ。粉末の出汁を入れると、かつおと干しエビの風味が湯気に乗って香り立つ。
このインスタント麺は、私の大好物のご当地麺なのだが、この魅力は、改めてことばを吟味して書くことにする。
今は話すより書くより、麺がのびないことが先決だ。