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Bohm Wholeness and the Implicate Order を読む (1)

2023/06/13

本日の夜に新しい勉強会の第二回目があるのだが、これを英語で読む。日本語で読もうとおもったが、英語を持ってきたメンバーがいたので、英語を手に取って、あまりに素晴らしいのでこちらに変えた。なんというかドラッカーの英文に触れたときの衝撃に近い。ドラッカーは日本語で大冊マネージメントを読んで、かなり影響をうけた。23才くらいかな。その後博士過程の学生の指導で英語の読解力が皆もう一息だなと思い、ドラッカーの英文を解釈するテキストを作った。15年くらい前か。ドラッカーの英文がいいなと思っていて、丁寧に書いた。同じように思っている人がいてドラッカーの起業家の話を英文注釈で出しているが、あまり話題にはなっていない。組織的に日本語訳がでて、妙な解釈が理解の標準になって、あるいみ手が付けられない。そこが気になると翻訳もまったくもってしていかがなものか、というものがおおい。コトラーはアンチョコ本までまとめて日本語化して手に負えないが、ドラッカーの問題も、本当はすごく大きい。高度成長を支えたのは日本語版のおかげだし、多分あの翻訳でも、実務と併せてしっかりと読み込んだら使えたのだと思う。ユニクロの社長柳井さんが書いたドラッカー勉強の本も素晴らしかった。が思想家ドラッカーの価値はいまのところ大量にある日本語のドラッカー翻訳書からはなかなか覗けない。要するにドラッカー単語カードにある英語と日本語のペアを機械的に当てはめて翻訳しているだけなので、一生の本としてドラッカーのマネージメントを使うとなると、柳井さんのように自分のノートを作る必要がある。だれもが柳井さんのようなノートを作れる(作ってくれる人を雇える)わけではない。

まあドラッカーはいいとして、ボームである。量子力学の登場で世界を理解する技法が根本から変わった。量子力学者は物理学者なので、物理学として量子力学を理解しても、それが世界を変えてしまう認識論上の大発見だとはおもわなかった。物理学者が大好きなガリレオにしてもコペルニクスにしても、認識論上の大発見をして、それを哲学者が読み替えて、近代認識論をつくり、そこに科学理論と哲学を打ち立てた。ニュートンとおなじレベルの物理的な発見をしたのが一連の量子物理学者で、それがガリレオ的ニュートン的発見に相当する大事件というか大発見であることは現在否定する人はいないだろうが、これを哲学につまり認識論に変えてさらにそれを技法にまで展開する人はいなかった。だから原爆を作ってしまったのだと思う。ここに挑戦したのがボームである。インチキなスピリチュアリズムだと量子力学者が嘲笑して(そして、それは古い認識論に従えばただしい嘲笑なのだが)葬り去り、同時に自己の責任、あたらしい認識論、を打ち立てる作業を放棄して、そこには触れないで科学の名前で権力をもち、原爆を作ってしまったりしたわけである。油断をするとメフィストテレスにやられる、ということだ。そんな中で、立ち止まって認識論的な課題として量子力学をとらえたのがボームである。ボームからセンゲへと流れる中で、量子力学的思考は認識論的技法として生き残っていくようにみえたが、どうだろか?ダイナミックな活動の痕跡がスタティックなパターンやコンセプトに変貌してないだろうか?アリストテレスが気がついていたダイナミックな状況が良きものを目指すと考えたときに生まれるwellbeing が概念的な目標に矮小化されていないだろうか?ダイナミックな身体の動きが静粛の中で繰り返される悟りを身体的修行ではなくて、コツとして矮小化していないだろうか?そして何よりもセミナー化した対話の理解が、内に閉じたお遊戯に変質していないか?こうした問題に対して、英語のボームのテキストは淡々と語っていく。第四章以降は数式になる。これはサイバネティクスも同じなのだが、肝心なところが言語ではなく数式になる。これは言語での思考の限界ということなのだと思う。ここをどのように超えて一般的な技法としていくかが、僕の大きな課題であり、現在、2年以上勉強会を続けているテーマなのだが、まあこの問題はまだまだ時間がかかりそうだ。だがそのまえにボームの量子力学的認識論であるこの本の第3章までを英語で読んで、技法としてどのくらいまで自分のなかに位置つけられるかをしばらく試してみたい。神秘主義やスピリチュアリズムの形でしか表現できない問題が誰もが使える技法になるか、ボームの挑戦は成功したとは言えない。センゲの思想が正しく世の中に伝わったかも疑問である。そこに攻め込むことが21世紀の哲学の最大の問題なのだ。つまり、デカルトやガリレオが近代認識論をつくり、その下で論理も倫理も語られた。だが量子力学や遺伝子工学という超絶的な学問はいまだに現代認識論を作ることが出来ず、その下で論理と倫理が語られていない。世界中の先端を走っている大学はここに焦点をあてて爆走している。実はこの問題を直視できていない日本の戦後思想みたいなことも気になるのだ。というわけで英語でパラグラフ毎にBohmを読んでいきます。あわせてポワンカレの考えに影響を受けて技法化した『思考の技法』も読んでいきます。ここまでは良識のある科学者も哲学と袂をわかっていない。この先なんですよね。

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