茶味 The taste of tea 序話の序話
こんにちわ。
大正9年に出版された「茶味」という茶道の本を、読みやすい現代語にして載せています。英語訳も載せる予定でいます。
私の祖父、奥田正造 によって
「わび茶」「茶道の成り立ち」などのことが書かれています。
祖父は、明治19年(1884年)飛騨高山で生まれ、7歳の頃より、国分寺の住職について千家表流を習っており、25歳の時に有楽流を習っているとのこと。
その後祖父の教えていた茶道は、教育のための茶道ということで流派はありませんが、しいていうなら「不言流」と呼ばれています。
学業優秀で地元斐太中学(白線流しで有名)から一高、東京帝国大学心理学科に進み (同級生に大賀ハスの大賀先生がいらっしゃいます。)
卒業後、女学校に勤務した後に、中村春二先生※との出会いから、成蹊高等女学校の校長になったと聞いています。
大正時代、子どもたちの個性を尊重する自由教育が盛んとなり、中村春二先生は私財を投じ、まずは英才教育を目指した教育をということだったとようですが、
「英才の集まりであるために、生徒の学力進歩は十分だったが、人格の養成が必要であると気づき、選抜試験など落ちた人にも、各自がもちろん持っている尊い、融和性を、霊力として発揮する機会を失わせないようにしたい。人々の心の奥底にある霊力が大切である」と提唱し始められたとのこと。
成蹊高等女学校で、人間としての情味豊かで誠実な人、その人の持つ霊力を養う教育を、ということで、祖父の茶道教育が始まったようです。
言葉や理論だけでなく身体的レベルにおける「感性」をうながし、それこそ「精行倹徳※」の人になれるようにということなのだと思います。
私自身は、生まれた時にはもうすでに、祖父は他界していて会ったことがなく、この茶味に出てくる「不言庵」は第二次世界大戦で空爆されていて、無く、
長野に今もおられる茶道の生徒さんたちが「不言庵」の隣にあった「法母庵」を戦後再建してくださったそうで、そのお茶室は目白にありました。
そこの露地で、皆さんが、「茶味はいい本だ」と繰り返しお話しされていた覚えがあります。
平成に入り、京都の出版社から「著作権が切れているので出版の許諾をもらいたい。和綴本も作ります。」と言うような、ご連絡を受けました。
https://www.amazon.co.jp/茶味―平成版-奥田-正造/dp/4894800039
こちらの和綴本の美しさに、知り合いなどで茶道をされている方にはお渡ししたりしてきました。
祖母の残した鎌倉書房出版の、古い貴重な「茶味」もあります。
が、
が、
読めない。。。。。。。。。。。
私、読めずに人生終わりそう。
旧漢字の多さ、難解に感じてしまう故事、
和尚さん、、あのどなたなのですか?という、人名。
一生懸命に深く読めば、シンプルに感じてくるけれど、何度もつまってしまう文章。
読めない文字は飛ばしながらどうにか読んだ、、、、和綴本を渡しした友人たちも同じ感想の方が多かったです。
きっかけがあり今年の夏、訳に取り組みました。まずはグーグル先生に、何十回何百回も、「示すへんに豊かって何って読むのですか?」「この格言教えてください!」と打ち込んで、
できるだけ自分にもわかりやすい言葉を選び(※私自身は祖母から数年間は祖父のお茶を習っています。そして父からも、この話は、大げさに言うと数千回は聞いていますので、ある意味何かが憑依した感じで取り組みました。)
それを、私より茶道に詳しい優秀な方が(※のちにご紹介します)が手直しして下さっています。
最後まで読み訳し、この「茶味」の日本語の美しさ、他の茶道の本と比べ、基本中の基本を書いていること、
茶道にだけではなく、「日常生活に根ざしている」こと。
今、世界中で求められている「禅味」があふれていること。
日本人、日本に住む我々が、わかっているようで、わかっていない「わび」「さび」のこと。
戦国時代のいつ誰が死ぬかわからない時代の鎮痛剤として茶道が生まれたこと。
茶道に関係ない方にも読んで頂ければいいなあ、と思って進めています。
住んでいるこの国の歴史、戦国時代、そのずっとずっと前の縄文時代、旧石器時代、
アジアの歴史 抹茶でなくとも、お茶、コーヒーを飲んでお話しできればいいですね。
序話の序話は駄文になりましたが、ぜひ本文を読んで感想いただければ励みにさせていただきます。
オクダマリ
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