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静かに撫でる。

実家の犬が亡くなったと母親からLINEをもらう。

電話して状況を訊いた。
車との接触事故。

それから、ずっとその犬のことを考えてる。
一緒に暮らしていたわけではないけれど、思い出すと、可愛らしい犬の姿が浮かび、そして、ああ、死んでしまったのだなぁと、寂しくなる。

妻と実家に立ち寄ったとき、誰もいなくて、犬だけが留守番していたことがあって、近くの海まで散歩へいった。

ひとけのない海で、とんでもない速さでクルクルと走り回り、その迫力に、
「生命の塊が解放されているみたい!」
と、妻とびっくりしたことがある。

が、もう死んでしまったのだなぁと、考えの先をぼんやり見つめる。

うちの犬とも二度ほど会ってる。
うちの犬は犬見知りで、他の犬が近づくとすぐ吠えるのだけれど、実家の犬にだけは、子分のように思っていたふしがあった。
少し偉そうにする。
年下なのに。
それだけ、実家の犬は懐っこかった。

シッポを振りながら寄ってきて、可愛らしい顔で見つめる。
何かしら、肯定されている気分になる。

けれど、もう死んでしまったんだと、考える。


最近はもう、十年単位で会わない人も出てきて、昔の記憶もとくに覚えている必要もないのではないかと思い始めていた。

職場でなんとなく交わした会話で、
「ずっと会っていない遠い親戚が亡くなっても、心が動かなかった」
なんて言っていた人がいて、ああ、そういうこともあるんだろうなぁなんて、考えていたのだけれど。

実家の犬が亡くなったことは、寂しさに似た、「何か」が過り、この気持ちはなんなのだろうと思ったり。

そして、ああ、亡くなるって、ちゃんと切ないことなんだなと、改めて覚える。

実家の犬に対して心残りがあるということではなく、あの無垢な「生命」が、僕に「肯定感」を錯覚させてくれた存在が、唐突に命を落としてしまったことに対しての、胸騒ぎ。

色々な「生き方」に触れることに疲れ、頭の中が散らかることもあるのだけれど、実家の犬が唐突に亡くなったことにより、僕は単純に、犬が幸せな生涯であったらいいなと思いを馳せる。

そして、どうせなら、より多くの無垢なものが、少しでも沢山、幸せな時間を過ごせればいいのにと思ったりする。

そんなことを考えながら、うちの犬を静かに撫でる。
犬はキョトンと僕を見つめている。



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奥田庵 okuda-an
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