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「それら」で鬱々。【短編小説】

桜の花も散ってきて、葉桜。

寝ていたい。
寝ていたいけれど、職場にいる。
哲学。

期待していたとんかつ屋が微妙だった。
期待していた映画がつまらなかった。
期待していた番組が胸が痛くなるものだった。

そんなことで1日引きずる。

「……」

まあ、なにかを見たことによって気分が悪くなるっていうのなら、そういうものを選ばないことが大事だなと、単純な結論に鬱々。

気分が悪くなる「それら」。
矛盾。未解決。理不尽。攻撃。嘘。不純。

世間はむちゃくちゃ明るいニュースで沸いていた。その映像を見るかぎり、腕振り上げたり、抱き合ったり、興奮して笑いあったりと、生きてて良かった。みたいな感じで溢れている。

そうか。
そうだな。
と、なにかに納得する。
たぶん、コントラストについて。

けれど僕は胸の痛さと、残念な気持ちをまだ解消できてはいなかった。そういう場合は、その出来事によって僕にもたらされた「動揺の構造」についてしつこく思索することになる。

僕が胸を痛めようが、「それら」は、どこかしらで誰かが喜んでいたりする。
それらが喜んでいられる人なら、また、「それら」を選ぶことだろう。と。
痛みが好きな人も、それで発散できる人も、悲しんでいる人がいてほしい人もいるのだろう。と。でもまあ、「それら」が辛いのであれば、できるだけ離れたほうがいい。「それら」がある世界はまあわかるけれど、それにずっと付き合わなければいけないわけじゃない。
「それら」の要素がある程度、少ない状態へは移動できる。完全に取り除けるわけではないけれど、自ら「それら」ばかりの世界に留まる必要はないのだ。

と、単純な結論に鬱々。

まあ、深刻な理屈が必ずしも「解決」にたどり着くとも限らない。

と、アクビを噛み殺し職場を出る。

雨が降ってきた。
僕は近くにあった薬局に入り、特に悩むこともなく安いビニール傘を買った。




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奥田庵 okuda-an
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