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終わったら、穴を掘る。


ああ、まもなく終わりを迎えるのだな。
そう、智康は感じていた。

智康は、頭の中で「終わり」たがっていた。
とにかく終わりたいのだ。
終わりたいのだから、「終わり」に関連した思考を巡らせる。

食べ過ぎているのは「終わり」たいから。
まだ眠いのは「終わり」たいから。
引っ越したいのも、休みたいのも、身体に力がわかないのも、何も頭に思い浮かばないのも、全て投げ出してしまいたいのも。

「もう、終わりたいんだ」

では、何が今まで「終わっていなかった」のだろうか?
智康は、終わりたがっていたのだけれど、何を終わりたがっているのかについて、あまり考えていなかった。

例えば、「勝つこと」とか、「一番になる」みたいな競うことを前提とした考え方については、終わりたがっていた。
ずっと違和感があり、どこかで「終わらせなければ」と思っていたのだけど、終わらせる判断みたいなものを決めようとしたときに、阻む、「呪い」も多く存在した。

逃げるのか、諦めるのか、それでいいのか?
そんな言葉の呪い。

でも、たぶん、勝たなくていいし、一番は錯覚だった。
智康は、ただ、穴を掘りたいと思っていた。
底に埋まっている、水脈を掘り当てる。

そんな事に時間を費やしたいと思っていた。
けれど、どこかで「終われていない」自分がいて、穴を掘る真似事はしてみるのだけれど、水脈を信じることが出来ていない自分を感じていた。

終われていないうちの穴掘りは、呪いが思考を麻痺させる。
それは、逃げている。と。
だけど、最近、智康は「終わり」を感じている。
今度は、本当に終わるのだ。

呪いを少しずつ解いてきたのだ。

智康は、そっと目を閉じて、水脈について思考する。
その水に、心から触れてみたいと、思考する。

もう、「終わる」。
そしたら、穴を掘ろう。


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奥田庵 okuda-an
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