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「泣いちゃう」のリピート。


変な興奮をしたくない日。
小沢健二が新曲「泣いちゃう」を配信開始。
コロナウイルスの影響になんだかんだと振り回されつつの日々の中、通勤中のバスで「泣いちゃう」をダウンロード。

イヤホンを耳につけ、聴き始める。

事前に配信ライブと、YouTubeで聴いてたのだけれど、イヤホンから届く「泣いちゃう」は静かに、ジワジワと心地良い。

はあぁ。

聴き終わり、イヤホンを外し、

日常。

「泣いちゃう」がジンワリと頭の中でリピートする。
バスの窓から景色を眺めつつ。
「……」
もう一度聞こうか。

そこからリピート再生。
改札を抜け、ホームで電車を待ち、しばらくして電車が到着して乗車。

ポカンと、「泣いちゃう」だけが頭の中で響く。

心地良い。

意識的に「気を抜く」。
ギリギリを回避するため。

小沢健二が、一度姿を消したとき、新曲は聴けず、ただ、時代がバタバタと進んだ。昔の曲を多くのアーティストにリメイクされながら、小沢健二の沈黙はより強調された。

「泣いちゃう」はコロナウィルスが世界中に蔓延している最中の「今」を小沢健二が歌っている。

ああ、この状態で、今の小沢健二が歌っている。
そして、やっぱり小沢健二である。

90年代の小沢健二のことを知らない世代も増えていることに対し、まあ、それは、そういうものなので。
たぶん、今のものも、「懐かしく」なる。
みんな、記憶が凝縮され、その記憶は共通認識ではなくなる。

そんな世代論はどうでもよく、まず、僕が心地良くなることが急務。
ギュッと時間や想いが、僕の中で凝縮されながらも、「今」を癒す。

今が更新され。
仕事をこなし、また帰り道、「泣いちゃう」を聴く。

はあぁ。

「泣いちゃう」を自分の思いで楽しめるのが少し贅沢な気持ちになり、今日は満足だなと思う。





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奥田庵 okuda-an
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