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季節の変わり目のムズムズ。


季節の変わり目は、ムズムズする。
あまり心地良くはない。

だけれどまぁ、毎年、毎回のことなので、いい加減に理解はしてきた。気温の変化や、ホルモンバランスや、胃腸の具合で、その日の「ムズムズ」は乱気流のように、激しく襲い掛かる。

季節病だとか、気圧だとか、そんなちょっとした変化のようなもので、人間はコロッと誓いや、約束や、習慣が乱れていくのだ。

「だからさ、ムズムズするんだ」
と、十二歳の息子が言った。
血は繋がっていない。
再婚相手の連れ子で、もう、六年ほど、僕の息子なのだ。

「おやっさんは、血が繋がってないっていうことで、たまに、アーっややこしいって思ったりする?」
「んー、君が、ややこしいと思ったりすると申し訳ないかなとは思ったりする」
「ほら、季節の変わり目だから、なんだか、理屈じゃないところでムズムズするじゃない」
「ああ、ムズムズするな」
息子は、僕が季節の変わり目にムズムズすることには理解してきたようだ。
「僕もさ、ムズムズするんだけれど、なんつーか、それを血が繋がっていないだとか、なんだか学校へ行きたくないだとか、暴言を吐きたいのに我慢してるだとか、理由をつけたくなるんだ」
「理由がないと不安だからな」
「だからさ、おやっさん、しょうがないから、もう、僕に付き合ってよ」
「ん? うん」

僕は息子に付き合い、バスに乗り、サッカー場がある運動公園へ行った。
「ムズムズする」
と、息子が言う。
「ああ、俺もムズムズはする」
と、僕も言う。
「跳躍をしよう」
「跳躍?」
「跳ねるんだよ。跳ねてる分には、端からは何かしらの準備運動に見えるだろうし、だけど、これは、ムズムズを一つ、吐き出す実験だと、おやっさんは理解して」
「分かった」
勿論、分かってはいない。が、ムズムズに理屈はいらないのだ。

僕と血のつながらない息子は、人工芝のサッカー場の隅で、二人で跳躍した。
跳ねる。跳ねる。跳ねる。
「はっはっはっはっはっは……」
「はふっはふっはふっはふっ……」
実際、ただ、跳ねるだけで苦しかった。
目標が欲しい。対決なのかすら分からない。その意味を、跳ねながら探した。
跳ねる跳ねる跳ねる。
跳ねながら、去年の今頃の痛風を思い出す。言い訳が欲しい。
苦しいのだ。でも、跳ねる。跳ねる。跳ねる。

「だぁっ」
僕は、跳ねるのが苦しくなり、その場に寝転がった。
息子は、僕の横でしばらく跳ねていた。

夕日が、赤く、また綺麗だった。
息子もまた赤く、綺麗だった。

ムズムズは、ほんの少し、どうでもよくなっていた。


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奥田庵 okuda-an
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