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T.T 3話-4「それぞれの夜(๑- -๑)...zZZ」

高知市内 土佐山内記念総合病院
五階 病室
田辺 貴子 (たなべ たかこ)

見回りの看護師が、食事を終えた患者さんから順に夕食用のトレイの回収に各病室を回っていた。
その一つに「田辺貴子」と他三名の名前が書かれた相部屋の病室があった。

「田辺さん、ご気分どうですか?」
担当の看護師 西村 飛彩(にしむら ひいろ)は普段通りそう尋ねた。

「ええ特には 大丈夫です。 ありがとうございます」
「そうですか。あっ食事残っちゃいましたね」
「……ええ」
「よかったら暖かいほうじ茶です。ちくっとぬるめですけど……」
「ありがとうございます」
と言って田辺貴子はほうじ茶を口にした。

「また自分が焙じ茶を淹れてもらう立場になるとは……」
「?」
「いいえ、なんちゃあないですわ。今日はもう疲れてしもうて」
「そうですよね。そう言うたら明日は土曜日ですけど ご家族は……」
「ええ。明日か明後日にはみんなで来てくれるそうです」
「それは良かった 楽しみですねぇ。田辺さん今日お一人で入院でしたからちょっと心配しちょったです」
「あらあらそりゃお気遣いいただいてありがとうございます」
「電気は消しておきますか?」
「そうですね、はい」
田辺貴子は言いながら頷いた。


常夜灯のほの暗い灯りの中で、田辺貴子は読書灯を点けて紙コップに入ったほうじ茶を見る。
多分さっきの西村さんが自動給茶機で入れくれたんだろう。
それだけでも嬉しいことに違いはない。ただこの薄茶色を見ると思い出すことがある。

子供の頃、祖母が焙じ器を使って、番茶から焙じ茶を作ってくれたことだ。
今頃は陶器のお洒落な焙じ器があるらしいが、その時代にそんなものはなかった。

その頃の焙じ器は、基本金属製で下側が金属の丸い皿のような構造になっていて、上側は網でできた蓋のようになっていた。上下はそれぞれ木製の取手が付いていて下側に番茶を入れて上側の網で蓋をする。それから上下の木製の取手を二つまとめて持ってコンロの火で炙る。
祖母はシワシワの手で茶っぱが焦げないように焙じ器を揺すっていた。

しばらくするとなんとも言えない良い香りがしてくる。
そして番茶の緑色した葉っぱの色が全体的に茶色に変色したら完成だ。

焙じ茶は熱いお湯で入れる。
この時の芳醇な香りが本当の焙じ茶の香りだ。
緑茶に比べてカフェインが少ない焙じ茶は、苦味や渋味が少なく小さな子供にも飲ませられる。
だから祖母は、わざわざ番茶を焙じてから飲ませてくれていたんだと思う。

焙じ茶はピラジンと言う成分が含まれている。
ピラジンは、焙じ茶の香りの主成分でアミノ酸と糖が高温で加熱されることで作られる。
このピラジンはリラックス効果や血行促進効果があり、病院ではよく食後から睡眠前に患者に提供されることがある。
自分が看護婦として現役バリバリで働いていた頃も、夕食後に患者さんに焙じ茶を配っていた。

「早く野勢に帰って、本当の焙じ茶が飲みたいわ」
田辺貴子はそう言いながら紙コップに入ったお茶を飲み干すと、読書灯を消して眠りについた。


高知市内 土佐山内記念総合病院
外科
小鳥游 詩織 (たかなし しおり)

薄暗い外科部の中で一人だけ残ってコンピュータに向かう医師が一人。
小鳥游詩織 外科医だった。
コンピュータのモニターには田辺貴子の検査結果が表示されていた。

その時、ナースシューズの極く小さな キュッ キュッ と言う音が近付いてきてノックの音がした。

「詩織先生ぇ〜 います?」
「はーい」
「コーヒー淹れました。ここに置いちょくね」
そう言うと看護師の 西村 飛彩 (にしむら ひいろ) は邪魔にならないよう、少し離れたところに紙コップに入ったホットコーヒーを置いた。

「ミルク入りのノーシュガーです!」
「あっ飛彩ちゃん、いつもありがとう」
「いいえ〜」

詩織は飛彩の方を向いてから、コーヒーに一口だけ口を付けて言う。

「貴子さんの様子どう?」
「まっことお疲れの様ですけんど、我慢強い いうか……土佐女気質入っちゅーいうか、何かお仕事やられちゅー方ですか?」
「飛彩(ひいろ)ちゃんと同じ看護師さんよ」
「わぉじゃ大先輩じゃのぉ。コリャちゃんとしちょかんと」
「いつもちゃんとしてないの?」
と詩織はちょっと意地悪そうな目で飛彩を見る。

「してまーす」
「じゃあ貴子さんの様子、簡単に教えて?」
「はーい。うちから言えるがは、貴子さん食欲イマイチで夕食半分くらい残いてました。あと黄疸ははっきり出ちゅーね。今はそがなところです」
「そっか了解……しました。 また変化あったら教えてね。頼りにしてるから」
「はーい、頼りにされちゅーき。 じゃ戻りまーす」
「ありがとう」
「あっ 詩織先生 毎度のことけんど、今度シフト合うたら飲みに連れってってくださーいネ!」
「あー忘れてた!」
そう言って詩織はペシリとオデコに手を当てる。

「って そう言いながらもう一年経ちますよねぇ」
今度は飛彩の方が意地悪そうな顔で詩織を流し目で見る。

「そうね。ごめーん」
「いいえぇ〜 期待せずに待ってまーす。じゃあまた報告に来ます」
「うん、ありがとう〜」
そう言って笑顔で飛彩を見送ると、詩織はまた険しい表情で画面を見つめる。


しばらくするとまたノックの音がした。
「小鳥游くん?」
「白鷺部長……」
白鷺宣雄 (しらさぎ のりお) は 土佐山内記念病院の外科部長。つまり小鳥游詩織の上司である。

「まだ帰らないのかい?」
「あっーと、いえ。もう帰るところです」

白鷺は小鳥游に近付いて一緒にモニターを覗き込む。

「緊急入院の田辺さん?」
「はい」
「マーカーは?」
「先月測定していて、1000を超えています」
この時点でガンの疑いは濃い。
もちろんこれは弟の龍劔(たつるぎ)からの報告だ。

「そうか……MRIは?」
白鷺はそう言いながら詩織先生の肩に手を置く。
詩織先生は、ドギマギして視線を震わせてしまうが、もちろん白鷺は気付いていない。

「あっ明日 予定を入れてあります」
声に怯えが出ていないか? それを悟られていないか? 詩織は心配しながら言う。

「場所の特定は出来ているの?」
「いいえ まだです」
「まあ毎度のことMRI待ち ってとこだね」
「そう……ですね」

「まああまり無理して遅くらないように。患者は彼女だけじゃないからね」
「ええ……それは……分かってます」
もちろん白鷺の言う通りだと分かっている。

「ところで……」
と、そう言いながら白鷺は詩織の耳元に近付いて言う。

「この後何か予定は?」
「……」

「いや無理にとは言わないよ」
「いえ、大丈夫です」

詩織は思う。
なぜこんなことになってしまったんだろう。
どこで階段を踏み外したんだろう。
そして私はどこに行くんだろう。

(つづく)


3話-4「それぞれの夜(๑- -๑)...zZZ」
『T.T (ティー.ティー)』© 2025 Hayase Yoshio


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