対象者に怒鳴られた話
病んでる、って訳でもないんだが、どうもモチベーションが上がらない。
対象者を前に、素直に対象者の幸福を考えることが最近難しくなってきたのだ。
人間の醜い部分に目が行きがちになってきている自覚がある。
「こんな人間にも、自分はこの人の幸福を考えなきゃいけないのか?」と考えてしまう。
以下、今週のハイライトである。
「いきなり顔を出しやがって!お前何様のつもりだ!!」
「もう1人の担当はインテリぶりやがってムカつく!顔がうっとうしいんだよ!!」
「今からリハビリよろしいですか?」と尋ねて、タブレットで映画を大音量で流し、その時その人は「はい」と答えた。「何を今からするの?」と聞かれたので、介入内容について説明したらこれだ。
認知症があるかないかは想像に任せるとして、いきなりこんな事を怒鳴られた訳である。
いきなり大音量で騒がれた事にはびっくりしたが、話した内容については全く頭にいかなかった。
ずっとその人の人間性を考えてしまった。
この人は、自分の中でリハビリの予定時間が決まっていて、その予定に外れたタイミングで自分が顔を出し、いきなり歩行なり筋トレについてお願いされたことに苛立ちを感じている。
この人は、自分が納得できないことに対して、自分の感情を抑えることが出来ず、「怒り」という感情を使って、「暴言」という凶器を使って、相手を支配しようとする。
あぁ、不快だ。よく同じ人間相手にそんな事ができるものだ。ましてや、医療を受ける側、リハビリをしてもらう側だというのに。同じ人間とは思えない。
人間の醜さを前に、疑問が浮かぶ。
人間讃歌を謳っている人、教科書に名を載せるようなセラピスト、先生は、この醜さをどう捉えるのだろうか。
自分のように苛立ちや「もういいや」という感情は出ないのだろうか。器の大きさの問題?
勿論、その人に反抗してはいけない、感情的になってはいけないから、自分でも驚くほど冷静に謝罪し、介入時間について相談できた。
相手は素直に聞き出した。リハビリが終わった時には「ありがとうございました」と感謝を述べていた。
まぁ、人間全体ではなく、この人の醜い部分なのだろうが、こういう事が起きると仕事全体の質が落ちるな…
人間ってやっぱり愚かだわって思ってしまう。
臨床の疑問ではなく、研鑽として教科書を読もうとすると、怒鳴った人間が浮かび、ページが進まない。
病院で、スタッフが暴力を受ける事って割とあるんだけど、仮に認知症があっても罪にはならないのだろうか。
スタッフ側の良心というか我慢で終わってないか?
そういう事があった時、すぐに法的手段に出られる環境があったらいいのになぁ。
自分だけの介入を希望されたので、ほぼ毎日顔を出さなくてはいけない。代診も出しづらい。
人を愛せるようにと、人間の強さや美しさに焦点を当てようとしてる時に余計な事をしてくれた。
…せめて、この経験がいつか大きな財産となりますように。
この仕事って人間好きじゃないと大変だなぁ〜