掌編『本懐』

 ええ、あなたに話しかけていますよ。いつも私を読んでくれるあなたにです。急に話しかけられて驚きましたか? でも、それもお互い様ってものです。私もいつも急に読まれるのですから。

 お礼を言うべきなのか、それとも謝るべきなのか、少し悩みました。読んでもらえるのが説明書の本懐とも言えますし、読みにくい部分があれば申し訳ないとも感じます。でも紙幅は限られていますから、畏まるより思ったままを伝えようと、そう考えたのです。

 私を読む状況はさまざまでしょう。買ったゲームを友達と遊ぶ前の日の夜、眠気と戦いながらパンチボードを抜き、流れだけでもつかみたい。重いゲームなので腰を据えて。純粋に読み物として。
 どう読んでもらってもいいのです。読み方を強いるのは傲慢というものです。私はパーツ。ゲームを支える一要素。いや、私がいなくても成り立ちます。読まずに遊ぶ方法はたくさんあります。寂しくないと言えば嘘になりますが、しかしそれでもいいのです。だって、読むのって大変でしょう? だったら読んでくれる人のことを大切にしようというのが本音です。

 私に載っているのは書き手の思いです。本来的にはマニュアルですが、ゲームとはわくわくするもので、そこには物語性が生まれてしまいます。書く方も楽しんでいるのです。機能性に徹せよなどと、どうして私が言えましょう?
 そうした思いの橋渡しが私の役目です。あえて紙と木のゲームで遊ぶという酔狂。あえて紙の文書を読むのもまた酔狂です。私を書いた人も読む人も、愛するものは同じのはずです。その思いを伝える一助になれるというのは、まあ、悪い気持ちはしませんね。

 なんやかや言いましたが、説明書に書いてあることがすべてですから、これは徹頭徹尾、蛇足というものです。それでも、たまには直接伝えてみようかなと、そう思い立ったのです。やはり読むのは大変なので、今日はこのあたりでおしまいです。あなたはまたすぐに私を読んでくれるでしょう。それまで、お休みなさい。

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