中村文則著 教団Xメモ
いいなぁと思った文章をメモしたので、紹介します。
くよくよ悩むことが、ちょっとは別の角度から見ることができるかもしれません。「あーあ、また脳が悩んでる。面倒くさいなこの原子の結合体は」という風に。
p58
原子たちには元々、意識を作り出す能力が備わっていた。実際にこれは真実だと私は考えています。なぜなら、今こうして原子の集合体である我々の脳が、意識をつくっているのだから。
p93
意識には、つまり我々の存在には意味がある、ということになる。人間的な概念での「意味」とは違うかもしれませんが、少なくともただの偶然ではない。だってそもそも、原子達にはその結合によって意識を作り出す能力が元々内包されていたのだから。つまり宇宙が生物・人間にとって都合よく造られている理由にもなります。
p95
別次元の領域とは何か。そこは「思念体」のようなところではないかと思います。この世界を土台として支えていく思念ー。
p95
アフリカの飢餓のニュース。どこかの金持ちの食後のデザート代で助かる命。神の名を互いに掲げ殺し合う人間達。それを利用する人間達。
p137
➡︎前者はスノーピアサーを連想させる。
人間という存在は、「自分が死ぬことを知っている意識」であり、さらに、過去から現在の膨大な原子の絶え間ない流れの中で、その空間の中で、一本の道の上に存在しては70〜80年ほとでの消滅を繰り返している存在です。
p151
➡︎著者自身が人間でありながら、まるでこの世界を作ったかのように客観的に無機質に書かれていて作家すげえて思った
内面を揺さぶられそうになった時、人間は大きく二種類に分けられる。
一つは、内面を揺さぶられ、その揺れを味わうことができ、それをもとに自分を少し改変させたり、その揺れを楽しむことができる人間。
もう一つは、それをシャットダウンし、もしその対象が映画や小説であるなら、その揺さぶられた事柄に反論するのではなく、物語や何やらにケチをつけ、その対象を駄作として切り捨て、深く考えることを避け自己を守る人間。
p336
どのような人生が虚しくないというのだろう?
生とは、結局終わるものだ。善尾などやがて消える人間の都合に過ぎず、第二次世界大戦のような惨劇が起きたとしても日々は結局続くのであり、たいしたことなどどこにもない。
p526
➡︎沢渡の思想観
生きていたら、どんな小さなことでも肯定できるものがある。私達は、すべての人たちがこの世界の一部でも肯定できるように、一つでもおおく、そういう肯定できるものを増やすことができるように、努力していきましょう。善を行うことに構えてはいけません。日々の中で、少しでもいい。何かに関心を持って世界を善へ動かす歯車になりましょう
p591 芳子のスピーチ