書活272日目*試されてると知った時、見るか見ないふりをするかで悩みますか?
「風の時代です!縛られずに動きましょう。」昨年はそんな言葉をよく目にしました。
私はKindleにて本を読むことが多いのですが、Kindleの便利機能として、読んだ履歴を元に興味のありそうな本を紹介してくれます。
その時に読んでいた本が、たまたま「運」についての本を読んでいたため、紹介されたのかもしれません。帯や表紙には「風の時代」というワードが散見されてました。
コロナ禍も明けて、コロナが5類になったこともあり、多くの方が雇用されることに疑問視している声も聞こえてはいました。
しかし、私は雇用されることを良しとしていました。会社経営するような器でもないし、企業の正社員一強だと信じて疑わなかったのです。
就職浪人を経て、一度正社員を経験しますが一念発起して、役者を志します。案の定、貧乏役者まっしぐら…かと思いきや、実家暮らしのためそこまで苦しいこともありませんでした。
両親からは「火を出す、一人暮らしはダメ」と言われてましたし、それに思い当たる節も私自身ありましたのでお言葉に甘えまくっていました。
弟からは常に「姉さん、大丈夫なの?」と心配される始末。まあ、なんやかんやと家庭を持ち、子どもも素直に育っているので「大丈夫」だったのではないでしょうか。
ところで常々思うことがあります。
本気になる。
過去を振り返って本気になったことなんて、弟との兄弟けんかした時だけでしょうか。いや、あれも弟の手のひらで転がされてることがあったように思われます。だから本気になったことなんてもしかしたらないかもしれません。
母の「斜にかまえて物事を見なさい」を真正面に捉えて、本当に斜めに見ていたため、真正面で見ることをダサいと思ったほどです。
役者を志すと言ったって、本気になることを避けまくったので中途半端に終わり、そしてタイムリミットが来たから辞めたのです。
一番格好悪い辞め方です、世界一ダサいやつです。何もかも後悔に苛まれて、辞めてから数年間は悪夢を見てはうなされるようになってました。
それがいつの間にかなくなりました。その時、私は人生で初めて本気になりました。そして本気でクソ真面目で真正面に物事を捉える事しかできないことを知らされました。
そうです、斜めに物事を見ることが不得意な人間だったのです。不器用な自分を認めたことで、解放されました。
それでいいとパートナーに言われて安心しました。それから本気で子どもと向き合って、真正面にぶつかりました。
しかし、子どもは成長します。私の手から離れました。次のステップに親も行かなければならないのに、また本気になることを恐れています。
とある講座に参加して、聞いた時に私は迷いました。出来ないと諦めてもいます。けれどこれさえも出来ないと思ってしまったら私は何も出来ないと確信もしてます。
私は一生、「このくらいでいい」の人生なんだと思うことで、やりたいことは夢想のままで終わるでしょう。
本当は私、母と娘をフランスに連れて行きたいんですよね。父が鹿児島に帰って晴耕雨読する余生を願ってるから叶えたいんですよね。夫がキャンピングカーで日本一周と世界一周したいと言ってるんで犬と一緒に同乗したいんですよね。発達障害の子どもたちの苦しみがない社会を作りたいんですよね。さまざまな意見があって、好きも嫌いもよくわからないもたぶんも攻撃しないけど意見を言える本当の多様性を目指せる社会も作りたいんですよね。
こんなにもやりたいことがあるのに、私はひとつも叶えずに棺桶入るのかなあ。本気になることなく幕を閉めるということなのかなあ。望んでない人生がありありと目の前に広がっています。
ああ、試されてる。本気になるのかならないのか、それは自由です。なんで自由は苦しいんだろう。
また恐怖に苛まれてる今日この頃です。