書活268日目*年齢を重ねると恐怖はなぜ大きくなるのだろうか?
私は不安で仕方がありません。
不安、何に不安なのかすらわからない不安です。
一年の半分、下半期を迎えたことを昨日記事にしてみました。記事の中で到着したのは、自分の中へ答えを探す方向に向きました。
私は自分自身と対話するのを苦手とします。対話しているようで、妄想劇へと繰り広げてしまうから。現実を見ようとしていないんです。
ありもしない人生を妄想して満足する。そうやって、44年の月日を楽しんできました。満足かと言われると満足だと答えます。
しかし現実のあらゆる不調和が視界に入れば、不満ばかりを口にしてしまっていました。
けれどある日、本音がこぼれました。敵だと思っていた人物や物や時代なんてものに対しての本音です。
その場所は、ここnote。
noteで文章を綴り続けていくうちに気持ちの整理が出来てきました。私の不満に思っていた、そのもっと奥の原因。
それは、自分でした。
ところで「運気」について、皆さんはどんな印象をお持ちですか?
以前、「運気」について書かれているとある書籍を読んだ時のこと。私は、かなりのダメージを受けました。
書籍にも記載されてましたが、あくまでもヒントであって、人生が絶対的にこうなると言うわけではありません。
つまり自分がどう行動するかの指針として使用して欲しいと著者は書いていました。
しかしその「運気」は、今まで蒔いた種が芽を出し身を結ぶ時期だと書かれていたのです。運気の周期は10年。私はチャンスを4回も逃していたことになります。
そして今回の10年も無駄にしています。なぜなら私は種を蒔いてもないし、育ててすらもいないのです。
目の前の物事をとにかく解消したくて、未来なんて見据えていませんでした。
なぜかというと小学3,4年の時に学んだ社会科・公民の授業で記載されていたイラストが、あまりにも暗くて先の見えない未来だったから。
それは年金問題と高齢化社会の問題提起でした。一人当たりの高齢者を何人の労働者が支えるのかというあのイラストです。
こんなにもハッキリと破綻するだろうと分かりきってるのに、なぜ大人は何も考えないのだろうか?幼い私には、理解不能だったのです。
年金受給の年齢引き上げられ、いよいよ私たち世代の年金が怪しくなってきていることはおろか、労働者の減少に伴って定年制がなくなってしまうのではないかと末恐ろしく感じていたのです。
しかし現在の作業を60歳を超えてもなお、出来るのかというと不安しかありません。能力の低下もありますが、IT化の影響による人員削減があるかもしれません。
崖っぷちにいる気がしてなりません。
ITに変えらることのできない項目として考えられるのは、人の手を必要とするものではないか?
では、私らしく出来て、かつITに打ち勝つものは一体なんでしょう。
運気のことでダメージを受けていますが、次の種まきまでの間にできることを考えなければならない時がもう来ているのだと、傷だらけながらも焦りはじめています。
不安です。新しいことを始めようとするのは、若い頃よりも本当に怖いものです。
ほんの少しの段差からジャンプするのさえ怖い年齢ですし、怪我もしやすいのではないかと恐ろしく感じています。
しかし何もやらないことこそが怖いんだよと、自分に言い聞かせている状態です。
しかし焦りは禁物、私はペースを乱すと疲れきって何日も何週間も動けなくなってしまうことを知りました。
なので私の中の畑の生き物たちと戯れつつ、もしかしたら何かが植ってるかもしれない、そんな期待をしつつ何かしらを見つけ出そうと思います。
もしかしたら、実は何かを植えてるのかもしれません。お楽しみボックスのような気分で人生を楽しみましょ!