子育ての正解ー彼女の素質と父と母 編ー(書活260日目)
子育ての正解ってあるのでしょうか?
娘が生まれてから今日まで、ずっと「答え合わせ」をしています。私がだしている回答は、たいてい世に出回る育児書や子育て論から引用していました。
娘は、現在中学一年生。部活に友人関係にと毎日忙しく中学生ライフを楽しんでいます。そんな彼女ですが、思わぬところでつまづくことが多々あるのです。
彼女は「発達障害グレーゾーン」。
「発達障害グレーゾーン」と言いましたが、正式な診断名ではありません。娘も医療機関にて検査をしましたが、医師からIQ値(知能)のグラフを見せてもらいながら説明を受けてもはっきりと言われませんでした。
そもそも、医療機関に受診しようと思ったのかというと小学校2年生の夏休みが明けたころ、担任の先生が産休に入り、それまで学習支援の先生として従事していた方が担任になりました。
小学1年生のころから様子をみていただいていて、気になっていたとのこと。実は、私自身も彼女の言葉の遅れが気になっていましたが、遅れるだけで時間差でクリアしていっていたので様子見をしているところでした。
担任の先生から様子を伺い、学校生活に支障をきたすのならばと「WISC-V」と呼ばれる知能検査を受けることになりました。幸いにもその診断ができるという支援の先生が、学校に着任していたのでお任せすることにしました。
結果は、実年齢よりも「2,3歳下」の知能年齢、言語理解とワーキングメモリーが苦手で、知覚と処理が得意。合成得点が境界域に位置していました。(※その数年後、医療機関に受診し、実年齢と同じように知能年齢もあがっていると予想されると診断を受けています。)
このことから、娘の特徴が読み解くことができました。言語理解がゆっくりなため、難しい言葉ではなく簡単な言葉で具体的に説明する必要があります。さらにワーキングメモリーの観点からいうと長い文章での指示を理解することが苦手と考えられるため、指示は短く区切って数回にわたって指示を出すと良いと言われています。
ここまでわかっているのに、私は怒ると言葉が増えます。さらに活舌もよくなり立石に水のごとく捲し立ててしまいます。
だからと言って、娘が負けているわけではないのです。私の言葉をよく聞き、矛盾点をついてきます。烈火のごとく怒る母と冷静沈着に指摘する娘。
性格上、娘と合うところと真逆のところがある上に、言葉の通じなさに悩んでいました。ある日、面白そうな講座があると聞き、受講することにしました。それは、「素質」と呼ばれる人間の性格を分類して考える、人間関係の講座でした。
「素質」を分類する方法は、占いなどでよく耳にする「四柱推命」をもとにしているのだそうですが、私が受講した講座は、お試し版となるため詳細は省略します。
診断結果は、大元の性格は同じ、思考が真逆でした。簡単にいうとポジティブシンキングな母とリスクヘッジな娘。ポジティブ人間から言わせるとネガティブな発言が多いように見受けられました。
これは、ネガティブな発言というよりも「もしもの時」のための問題定義を考察してから行動に移すタイプであることを補足します。決してネガティブが悪いというわけでは、ありません。
何か新しいことをしようとするたびに、娘は「どうせできないかもしれない・・・」ということがあります。
「はい、また『どうせ』っていう!なんでそう諦めるかね」
これは、よく夫が娘にいう言葉の一部です。先日も夫の小言が聞こえてきたので、黙って聞いていました。
小言を言っている夫の口から
「でもどうせ…」
そう言っていたのを聞き逃しませんでした。
ちなみに夫の思考も娘と同じくリスクヘッジ型。ネガティブな発言をしてしまうんだと当の本人も気にしています。(決して悪いことではないんですが、なかなか伝わらない歯がゆさ!)だからでしょう、娘の口癖についての小言が多いほうなのです。
一通り小言を言い終えた夫が一言、
「話し、長いよね・・・」
と言いました。
彼は、ここ最近「発達障害グレーゾーン」について調べています。娘がその診断を受けたことも、特徴があることも知っていますし、偏見を持っているわけではありません。ただ、私たち家族間での大きな困りごとはなかったこともあって、問題視することではないと考えていたようです。
しかし、彼の中で「娘の未来」つまり自分たちの手から離れたときに困ってしまうのではないか?と思い至ったそうです。
もちろん、それまで「娘の父」としてどう接すればいいのか?どう叱るのが効果的か?甘やかすのか、甘えさせるのか、彼なりに考察し「父と娘」の関係を築いてきていました。
ただ、この「娘の父」は一般論の「娘の父」でした。「うちの娘の父」としての考えていないのではと気づいてしまったと教えてくれました。
では、私は?「うちの娘の母」としてきちんと向き合えているのか?その距離感は丁度よいのか?「今の娘が求めている」母であるのか考えるきっかけとなりました。
刻一刻と「家族だけの濃厚な時間」を過ごせる日々が、少なくなってきています。「うちの娘の両親」としてのあるべき姿を試行錯誤しながらも、娘が安心して未来を自分の力で歩めるように尽力できたら幸せです。