書活303日目*懐かしき友との時間は、刺激的!
「こないだ四十肩になってさ…」
そう言ったのは、友人夫婦の奥さま、ご主人の方が四十肩になったとかで大変な思いをしたという話。
彼らとは20代前半で出会いました。その頃は、互いに夢を語らい、同じ志を持っていました。
30代で別々の道を進み、数年ぶりに会いにいきました。7、8年の月日分の年はとったのかもしれないけれどあの時のままの彼らがいました。
会いに行くと決めてからの日にち、とても緊張していたのに顔を見た瞬間から時が経つのを忘れるくらい話しました。
中心になる話題は、それぞれの日常から昔のことへと流れるのですね。若かりし頃はそれをダサいと思ってきたけれど共通認識ですからそうなるのは自然の流れ。
流れに身をまかせて話し込んでいるうちに、彼らの未来をほんの少し教えてもらいました。止まっていたのは私だけだったのだと痛いほど感じてしまいました。
けれど妬ましさはなく、ただなぜだかその未来について想像する自分がいました。その感情の名前はなんでしょう。
やりたいのか、と言われれば答えは否定をします。なぜなら表立って何かをやるのは性分に合わないのだと気づいてしまったから。
裏方をしたいのかというと、それはとても面倒なことだとわかるから手をあげるのを躊躇します。
なにをそんなに嬉々として未来の話をしたのだろう。また一緒に何かを作り出したいのか?それとも他人事だから好き勝手語っている気もしなくもない…。
自分の展開に戸惑い、自分のこととなると鈍ってることに痛感してしまいました。
私は一時期、孤独でした。
子育てをしているのに夢中になってしまって、他の人との交流を面倒くさがった結果かもしれません。
ママ友のいないことに寂しさを覚え、その気持ちにふたをし、子ども中心に物事を考えるうちに嗜好の感情を見失いました。
何が好きだったのか、どんなことで喜んでいたのか、ふと忘れてしまうことがありました。
孤独は人を強くするし、弱くもします。そして鈍感にもするのだと私は思うのです。
できることなら避けたかった感覚。
今、鈍った心を動かそうとしています。研ぎ澄まされた暁には何がみえるのでしょうか。
これから何をしたいのだろう、今やるべきことはそれを見極めることなのだと思った時間でした。時には懐かしい友人に出会って刺激をもらうのは良いことなのだなと思い、また懐かしい友人と連絡をとったのはいうまでもありません。