書活279日目*「好き」は世界を救うの実体験。
胸の奥底に小さな炎が点りました。
数日前にとあるトレンディー俳優の一人として有名な人のことを書きました。興味を持つと調べたくなるのが私の性。
彼のデビュー作は以前から知っていました。それは、私の大好きな作家が原作の映画「草迷宮」。物語は本当に迷宮に入ったような不可思議な世界観に何度読んでも首を傾げています。つまりよくわからないんです。
その作品を映像化したというのだから、観てみたい。
寺山修司という人がいて、会う役者のうち半数は彼で、もう一方はつかこうへいという派閥が出来ていました。(私の狭い交友関係での話ですのでかなりの誤りがありますが、ご容赦ください。)
その寺山修司という人が手がけたこの映画。私は90年代後半から00年代の演劇に触れているので、アングラ作品というものは、噂で聞く程度。
これがアングラなんだ!!という境がわかりません。俗にいう白塗りで奇怪な踊りをしている人たちが群像劇をしているの?みたいな感覚でおります。
詩人でもあるし作家でもあって、寺山修司という職業をしている人が寺山修司という人。そう聞いたこともあるくらいマルチな人という印象です。
素晴らしさを説かれていたものの、実際に観ていないので判断しかねます。1980年に生まれたことを悔しいと思う一つです。
舞台というものは、やはり息遣いが聞こえるその場で見たいもの。間合い、空気、どれをとっても勝るものはありません。
しかし、触れぬことのできない寺山修司の残像だけでも観てみたい。それが映画「草迷宮」なのです。
ところで我が家はテレビがありません。実際はテレビ本体はあってNetflixは観れます。しかしその他の民放は契約を切ってしまいました。
テレビなし生活をしてもう1年以上経過しています。すこぶる快適で困ったことはありません。情報などは、スマホアプリのradikoやネットニュースで手に入ります。
「あのドラマ見てる?」と話をふられてその内容が面白そうだと思ってもあとで見る手段はいくらでもあります。
ただ、今回だけ残念に思ったことは、先月だったか映画「草迷宮」が衛星放送で入ったということを入手してしまいました。
床を拳で叩きつけるほど悔しい話。
20代の頃から友人に勧められていたというのに、なぜ私は機会を逃してきたのか…。次はいつ、いつやるのでしょう?
と、もがいてましたが、至極簡単なことに行き着きました。DVDを購入してしまえばいいと…。我らのAmazonさんが「あるよ」と教えてくれたのです。
良い時代になったものです。安心したのでさまざまなことを調べてみました。
かの俳優さんのインタビューなどもネットで拾え、いろいろと読んでいるうちに昔から読みたかった、観たかった作品が目につきました。さらに、やりたかったことをふと思い出しました。
役者の最後の動きが終わって、暗転。数秒の間をおいて、煌々とライトが点って役者たちが役から一旦抜け出して客に最高の顔を見せてくれる、客はそれに反応するかのように拍手を送る。その時の私はいつでも心が躍ります。
客席にいるというのに、まるで演者にでもなったような高揚感。鼓動は抑えることができなくて、叫び出しそうになるのです。
そんな気持ちが、今湧き出しています。火がこの胸に点りました。この火が消えませんように、もう二度と…。