書活288日目*物事をユーモラスに転換したい!
「今夜は、どこに湿布を貼ろうか考えるのが楽しみなのよ」そんなことを言った女性がいました。それは帰宅時の電車内のこと。
秋葉原で降りてから歩くのか、目的地の場所の最寄り駅で降りるのかをお相手の方と相談したのちに発していた様子。
一体どういうこと!?と続きを聞く前に、私の降車駅に到着してしまいました。でもなんだか楽しそうなお二人。
ここからは想像ですが、今日一日よく歩いたのかもしれません。これに不服を言う人もいれば、楽しみという人もいる。私は後者でありたいと常に気を付けています。
気を付けているということは、つまり不服を言いがちなのです。そういう時は視界といいますか、気持ちが狭くなっています。そうすると何もかもが面白くありません。やることなすこと後悔してしまい、さらに同行した相手にさえ不機嫌が移ってしまいます。
20代のころ、友人と京都へ旅行に行きました。
当初の私は、京都南座に出演される私の推しの歌舞伎役者さんを観に行きたくて、一人旅をする予定でした。たまたま近々に会った友人に京都へ行くことを話したところ、彼女も便乗したいと言ったので、うれしくなって一緒にいくことにしました。
歌舞伎一緒に観るかと尋ねると、行かないと言われたのでその時間帯は、おのおのフリータイムにすることにしました。では、一緒に何かをしようかと相談していたのですが、ちょっと面白いことをしたかった私は、舞妓体験をすることにしました。こちらも彼女は「いいよ、あなただけやりなよ」と言いました。
まあ、もともときちんと自分の意見をはっきりいう友人だったし、やらずとも一緒についてきてくれて、彼女なりに楽しんでくれる子でもあるので気楽な友人関係だったのです。
ただ、その京都旅行でちょっとだけ寂しくなってしまったのでしょう。私ちょっと不満に思って、それが思いっきり態度に出てしまったんですね。で、そんな態度の私に彼女も不服に思ったらしく、二人無言になってホテルまで足早に歩いたんです。
無言のけんか。
だーっと歩いて部屋について、ちょっと休んだら小腹が減ったことに気づきました。
「ねえ、あそこのラーメン屋さんに行かない?」
どちらが誘ったのか、もう忘れてしまったのですが、喧嘩していたことも忘れてラーメン屋に行きました。彼女と付き合ってから、ご飯のメニューでラーメンを選択したことはなかったと思います。
京都の薄味に物足りなさを感じていた私たちは、そのラーメンをひとすすりしただけで「うんま~」と二人で言い、笑いあいました。
なんで喧嘩してたんだっけ?
今思えば、私が原因です。寂しいから何か一緒にしようよって素直に言えたらよかったのに、無言で怒っただけでした。
京都で共有したラーメン。こういう感じがしてみたかったんだよね、そんなことも結局言わずじまいだったし、「ごめん」も言いませんでした。
年を重ねて、不満に思っていたことも発想の転換で物事をユーモラスに考えたいなという希望のもと、思考の訓練をしています。京都のこの時の思いも今なら、2倍で京都を楽しんじゃったな~なんて思うのでしょうか。
この話、友人は覚えているかな。彼女は、それから間もなく結婚し2人のお母さんになりました。なかなか会えなくなってしまったのですが、数年前に共通で好きだったバンドの復活ライブを渋谷に観に行きました。
細く長い関係です。きっと元気に過ごしてるんだろうな、なんて本当に時々思い出すだけの彼女ですが、もう少ししたらまた旅にでも誘ってみようかしらなんて思い立った今日でした。