時代小説『龍馬、その傷を見よ!』
「先生、伊東甲子太郎様の配下の御陵衛士と名乗るお武家様が、御用改めに来られております」
元相撲取りで用心棒の藤吉が二階に上がってきて告げた。
「俺に会いに来たのか」
「いや、中岡先生をお探しに来られたと察します」
坂本龍馬と中岡慎太郎、顔を見合わせる。
「何人だ」
「お二人です」
「分かった。俺が応対する。通せ」
火鉢を挟んで北側の床の間の前に龍馬が座り、南側に慎太郎が座っていた。
それを侵入者に備えて移動した。
龍馬は、東向き入口でんと腰を据えて、入ってくる物は誰でもすぐ拳銃を打てる態勢で構えた。
一方、慎太郎は丸腰だったので、龍馬から急きょ脇差を借りて、龍馬の拳銃の邪魔にならないように部屋の東側の隅に身を潜めた。
「お通しします」
襖の向こうで藤吉の声。
「よし、通せ」
藤吉が襖を開けた。
もう一方を内側から中岡が開ける。
両方の襖が開け放たれた。
いきなり現れる美しい若武者。
襖絵に見とれていた藤堂平助。
襖が開いたのも気づかないのか、呆然として立ち尽くしていた。
その姿は、歌舞伎で幕開けと共に登場した若武者のような容姿に見えた。
それは、一枚の浮世絵になるほどの見事な姿であった。
ただ一点を省いては。
藤堂は、色白細面の端正な顔だが、眉間に池田屋で斬られた時の傷が痛々しく残されているのだ。
目の前に銃口が現れた。
藤堂は、刀を目の前でいきなり抜かれたことがあっても、銃口を向けられたことはない。
どう対処したら良いのか分からない。
呆然と立ち尽くす。
隠れ部屋で臥せっていて、ここにはいないはずの坂本龍馬がいる。
しかも、我々に銃を向けている。
一瞬、同行の服部武雄共々何が起きているのか分からなかった。
誰もが、銃口を前にして冷静な判断などは出来ない。
その場を逃れようとする本能だけが機能する。
しかし、藤堂は本能をも停止させていた。
銃口の先が逸れている服部武雄だけが、無意識に自分の脇差の柄を握った。
何時でも抜ける態勢になったことで、かろうじて冷静になることが出来た。
「坂本先生、我々は伊東甲子太郎の配下、御陵衛士と申します。土佐藩後藤様の命によりこの近辺の警護を申し付けられております。先程、監視所より見ていましたところ、賊に追われた三人組がこの界隈に逃げ込む様子が見えました。その様な訳で夜分に恐縮ですが、改めさせていただいております」
「違う、違う、龍馬さん」
中岡が、急に割って入った。
「こいつら、新選組だ。特に、こいつは藤堂平助だ。この額の傷を見て下さい。これは、池田屋で付けられた傷です」
「本当か?」
銃口を向けられている者は、誰であっても真実を語る。
「左様、拙者は新選組の藤堂平助。これは、池田屋の時に付けられた傷だ」
堂々と答える。
「池田屋」
龍馬は、親交のあったものの多くが命を落とした池田屋の遺恨が蘇ってきた。
特に、土佐勤皇党、神戸海軍総練所と一緒だった弟分の望月亀弥太のことを思いだした。
こいつらが、亀弥太を斬ったのか。
悲しみの中から、怒りが沸き起こった。
「こなくそ!」
龍馬は、思わず引き金を引いた。
つづく