すべてはシナリオ通りに『仮面の告白 第二章』
時代が変わった。
昭和が終わって、平成になり、やがて令和になった。
かつての私は、昭和の代名詞となってしまった。
小説家を超えた存在として、強烈な印象を留めることが出来た。
私の行動に後に続くものがいなかったこともあり、もはや私は、神格化されたともいえるだろう。
私の画策していた通りとなった。
小説自体は、やがて色褪せてくる。
時代が移り変わるごとに、勲章のように過去の賞賛に追いやられる。
時代が品定めをする。
時代がふるいをかけてゆく。
令和になって、私たちの時代に創られたもの、作者は大半がふるい落とされた。
冷静に判断されるのは、百年も待たないといけないだろう。
しかし、その前に私は歴史に刻まれたのである。
どうだ、自衛隊を見る目が、変わっただろう。
幾多の海外派遣、災害派遣を経て、自衛隊員の汗と苦悩が、ここにきてやっと報われた。
私の生きていた頃の自衛隊員は、すでに引退しているはずだ。
いや、もう鬼籍に入っている者が、ほとんどだろう。
彼らの努力は、ここにきて報われた。
毎日血のにじむような訓練をして、決して鞘から抜くことのない刃を研ぎ澄ましていた彼らは、やっと報われたのである。
あの時、彼らが誰も立ち上がらないことを、私は知っていた。
立ち上がることが出来なかったのだ。
私が、ドンキホーテを演じても、自ら立ち上がるには障害が多すぎた。
つかの間の平和と言う二文字に、彼らは負けてしまった。
安保論争が、終盤に差し掛かり、鞘を抜くことがなくなるのが見えたからだ。
彼らに対して私は、卑怯者だとか、臆病ものだとかは言わない。
それで良かったのだ。
私は、皆があっと驚くような馬鹿げたことしてみたかっただけなのだ。
世間が、どんなに頭をひねっても、理解することが出来ないことをしてみたかっただけなのだ。
様々な推測が、その時代の変わりようと共に違った解釈を生み出す。
そのたびに私は、祭り上げられる。
私の存在に関しては、永遠に記憶に留め置きされるであろう。
私の死は、すべて織り込み済みであった。
私は、生まれた時からずっと、綿密なシナリオを描いてきた。
私は、それを忠実に演じているだけなのだ。
そして、第一作は罵声と共に閉じられた。
幕が閉じられて時間が経つと、怒声がどよめきに変わってきた。
やがてそれは、歓声に変わる時が来るだろう。
あともう少しだ。