短編小説『先ずは京の作法を学びなさい』
「造作奉行様のご命令で、わざわざ京に呼び寄せられたが、何ということだ。何事をするにしても、書面を回せとか、誰々に挨拶せよとか、つまらぬことばかり指図される。これでは何も進まん。わしらは、代々南都七大寺様の加護を受けて、誰にも文句を言われず好き放題させて頂いた由緒ある宮大工なのだ。それをことあるごとに、小役人どもが一々口出しをしてくる。これでは仕事にならん」
奈良におりました頃は、温厚で泰然自若であった主人の与平次も、京に来ましてから、妻の私に愚痴をこぼすようになってきておりました。
そのような折に、主人は代々久事方奉行をされている中井家の正清様に呼ばれました。
正清様は、主人と同年代で、もう忘れてしまいましたが、どちらかが一歳上か下でした。
しかし、正清様は、大御所様からの家来でいらっしゃいますので、今どきの造作の道理をわきまえておられます。
そのような訳で、主人の嘆きを何処からか聞きつけたものか、正清様のお屋敷に招待されました。
申し遅れましたが、私の主人の名は、遊佐与平次と申します。
代々奈良で宮大工をしておる家柄です。その時は、二人の供をつけてまいりました。一人は、先代から仕えております大工頭の佐吉と、もう一人は越後の棟梁の息子で、預かり弟子の甚兵衛です。
この甚五郎と申す若者には、一言付け加えておかなくてはなりますまい。
この若者は、後に日光東照宮の彫り物で、名を上げましたあの左甚五郎でございます。
私どものところに来たときは、まだ二十歳にもなっておりませんでした。
見た目は何のことはないごく普通の若者ですが、非常に変わったところが多くございました。
代々大工の家系に生まれながら、彫り物師になりたいと言い出して、大工仕事はそっちのけで、彫りものばかりに精を出しているのを棟梁の父親が、危惧して大工仕事を覚えるようにと、越後から奈良の主人の元に送り出されました。
さすがに、主人の元に来た頃は、彫りものは一切しておりませんでしたが、慣れてきますと仕事の合間に彫り物をし始めますが、主人はおろか、頭の佐吉も誰も文句を言うものは、おりません。
恐ろしいほど、仕事が早いのです。
言われることも、言われないことも、人の半分ほどの時間でこなしてしまうのです。
しかも、早いだけでなく、一人前以上の出来映えなのです。さすがに、これでは空いた時間に彫り物にうつつを抜かしても、文句は言えません。
もっと驚くことに、甚五郎は彫り物をするときは、下絵を自分の前において、右手で墨付けを書きながら、左手で彫刻刀を持って同時に彫っていくのだそうです。
私は、ついぞその姿は見ることは出来ませんでしたが、主人が言うには、とても人間業ではないらしいです。
さすがに後に名を残せる人は違います。
ついでに、一言付け加えますと、この甚五郎、口がきけないのかと思うほどに、話をしないのです。
いつも黙ったままです。
独り言なども、誰も聞いたことがありません。いつも黙っております。
話しかけても、心そこにあらずで、ぼうっとしています。
聞こえてないのかなと思いましても、指図する以上のことを汲んで、てきぱきとこなします。それは、それは、変わった子でした。
長々と甚五郎のことをお話ししてしまいましたが、そう言う訳で、まだ若い甚五郎を中井様のところへ、主人は連れて行ったのでした。
「ただいま」
「お帰りなさいませ」
行く前は、ひと講釈申し上げると、意気揚々と出かけて行ったものですが、帰ってきますと借りてきた猫のようにおとなしくなってきております。
ただ、甚五郎だけが、一抱えもある大きな包みを両手で大事そうに抱えており、目がきらきらと輝いております。
この子のこんなにうれしそうな顔は、見たことはありません。
「悪いが奥の部屋で打ち合わせをするので、お茶を出してくれ」
「お食事は、如何なさいますか」
「お食事は、その後だ」
帰って来るなり、一息も入れずに、奥の間で打ち合わせをするとは、ただ事ではない様子です。
その秘密は、甚五郎が持ち帰った荷物の中に隠されているような気がしました。
つづく