勝負あり!(時代小説『宮本武蔵はこう戦った』より
一刀両断、斬り下ろす。
むぅ、手応えがない。
突進してきた武蔵が急に身体をのけ反らせ、砂の中に沈み込むようにしてかわした。
一太刀で仕留めることが出来なかった。
しかし、小次郎には、まだ心に余裕があった。
武蔵は、小次郎の間合いに踏み込んで入っているが、彼が打ち込むことが出来る間合いには入っていないからだ。
愛刀長光は三尺三寸、武蔵の木刀はせいぜい二尺五寸もあるまい。
一足分の距離の違いがあれば、武蔵の木刀は届くわけがない。
たとえ、体当たりを食らわそうとしても、こちらは左足を前に出した半身になっているので、容易にかわすことが出来る。
小次郎は、前かがみになった体勢を立て直しながら、太刀を左に引いて自分の目の高さと同じ位置にある武蔵の左の鬢をめがけた。
まさに斬ろうとしたと時、砂の中に沈み込んでいた武蔵の身体が見る間にまさに伸びあがった。
武蔵が、急にせりあがる。
左の鬢を狙うつもりが、左袈裟になり、左胴になった。
腕共々、斬って仕舞えと思った瞬間、腕が上がり、左胴ががら空きになった。
今だ。そこへ斬り込め。
その刹那、目を閉じたままの武蔵が力なげに打ちこんでくる様子。
待て。どうせ届くまい。
充分に見切ってから、武蔵が死に体になったところを確実に仕留めよう。
小次郎は、一瞬愛刀長光を止めた。
武蔵の木刀がやってきた。
小次郎は、緩やかな放物線が目の前を上から下に通り過ごすのを待った。
むぅ、それは落ちない。
一直線に自分の頭に向かって来る。
なぜだ。
再び愛刀長光を走らせようとした瞬間、そこで小次郎の思考は停止した。
小次郎は、首を傾げ膝から崩れ落ちた。
目を開けた武蔵には、不自然に手足を折り曲げて、横たわる小次郎の姿と、彼に燕返しで斬られた親燕の姿が重なり合って見えた。
「お見事、勝負あり」
武蔵は、いつの間にか来ていた立会人らしい者の声で我に帰った。
勝ったのか。勝負に勝ったという実感はない。
ただ、生き残ることができただけだ。
武蔵は、中段の構えを大きく開いた左星眼の構えをとり、いつでも反撃ができる体勢を崩さないままに、ゆっくりと膝を折り、歪な格好で横たわる小次郎の血潮にまみれ、白眼だけがやたらに目立つ顔に近づき、息を窺う。
かすかに息があった。
武蔵は気を緩めず、ゆっくりと立ち上がった。
構えを解かず、起き上って反撃をすることが出来ない様子の小次郎に対して、隙を作らない。小次郎を見据えたままでいる。
ゆっくりと後ずさりして行く。
その姿は、背にしている真紅に燃え上がる太陽の揺らめく炎を受けて、まるで武蔵自身が燃えているように見える。
宮本武蔵は勝ったのだ。