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短編小説『夢の中に出てきた運命の人』
「失礼します」
長身の駅員さんが、制帽を脱ぎながら身をかがめるようにして入ってきた。
駅長さんが私のことを話してくれた。
確かに名札には「池田」と書いてある。
どこかで見た顔。その顔に見覚えがある。
でも、思い出せない。
「助けていただきまして、ありがとうございます」
池田さんという駅員さんは、まるで他人事のように目を合わさないまま、軽くうなずく。
影のある寂しそうな横顔。
高校生の時に、ライブで突然歌えなくなって呆然としているヤマギシ君を思い出した。
「あの時、忘れ物ですよって、声を掛けてもらいましたけど、どうしてですか?」
池田さんは、遠くを見た。
亡くなってしまった貴島さんの目と同じ。
私をすり抜けて通り過ぎる目。
「どんなに辛いことがあって、絶望の淵にあっても、一つくらいは思い残すことはあるはずです。それを思いの返してもらうために声を掛けます。振り返った時、あなたは何を見ましたか?振り返った時に見たものが、あなたに残された最後の希望です」
そう言われて、あの時何を見たかを思い出した。
私はその時、お腹の大きな妊婦さんを見た。
子供を産む。母親になる。
うらやましいなと思った。
そう、思い出した。確かにうらやましいなと思った。
それが私のやり残してきたこと?
ごく普通に結婚して、子供を産んで、幸せな家庭を築く。
そんな世界は、私にはまったく関係のないものだと思っていた。
ただ、ただ、逃げ出したかった。
悲しみが後ろから追いかけてきて、絶望の淵に立たされていた。一刻も早く、闇の中に吸い込まれてゆきたかった。
生きてゆけなかった。現実が苦しくて、苦しくて生きてゆけなかった。
まさに、死のうとする寸前に、思わず振り返ってみたのが、妊婦さん。
幻想だったのかもしれない。
でも私の目には、確かにお腹の大きな妊婦さんが見えた。
今思い起こしてみると、それは未来の自分の姿のように思えてくる。
心の中に潜んでいた。
「母親になって、幸せな家庭を築くこと」
それが、私の本当の望みだったのか。
そう思ったとたんに、体の力が抜けてしまった。
私を縛り付けていたものが解き放たれたように感じた。
同時に、涙が息せき切ったように流れ出してくる。
「ありがとうございます」
思わず手を合わせて深々と頭をさげた。
顔を上げると涙越しに池田さんの顔が見えた。
やはりどこかで見たことのあるような気がする。
「良かった」
池田さんは、自分に言い聞かせるようにつぶやくと、私の方を向いた。
池田さんの目が私を通り抜けた。
遠くを見る目。
貴島さんと同じ遠くを見る目。
その目を見ていると、記憶がよみがえってきた。
あの夢の中に出てきた人。
道を歩いていると、急に地面が落ち込んで、私は吸い込まれてしまった。
高校生の頃のバンド仲間のヤマギシ君やお父さんや貴島さんが次々と助けようとしたけれど、どんどん沈み込んでしまって、土の中に埋もれて、繭のようなものに包まれて閉じ込められてしまう。
その繭のようなものを破って助け出してくれた人。
その時は誰だか分らなかったけど、今やっとわかった。
それが池田さんだったのだ。
私は、池田さんの顔を見つめた。
過去を引きずって、そこから抜け出せない人。
私のような人を何人も助けているのに、満たされていない目をしている人。
夢の中に出てきた運命の人。
今度は、私があなたを助ける番。
私は、池田さんの顔を見据えた。
視線が、池田さんを通り抜けた。
貴島さんのにっこり微笑む顔が見えた。
未来が見えたような気がした。
思わずつぶやいた。
「貴島さん、ありがとう」
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