ひとり酒(『天国へ届け、この歌を』より)
単身赴任で大阪に行っている裕司の分まで夕食を作った。
テーブルに差し向かいでそれを並べた。
この時期、裕司がいつも飲んでいる冷酒も買ってきて、並べた。いつもの食卓、いつもの食器。
裕司の大好きなさばの煮付け。
でも、本人だけがいない。
サティのジムノペティがずっと頭の中で流れ続けている。
ずっと裕司のことを考えている。
病院で言われたこと。ガンかもしれないこと。手術もできない場所にあること。・・・
ジムノペティの旋律に合わせて、繰り返して頭の中でまわって行く。
冷酒のグラスを裕司のグラスと乾杯した。
グラスを合わせると、チンと高い音がむなしく響いた。
一口飲む。芳醇な口当たりが、冷たい舌触りに、寂しさ、虚しさという味に変えて、喉を通り抜ける。
食事には一切手を付けず、悲しさ、虚しさを確かにするために、杯を重ねる。
サティのジムノペティがずっと流れている。
壊れたレコードのように、同じ旋律を繰り返し流れている。
「裕司、私どうしたらいいの」
何度も心の中で叫ぶ。
「裕司に会いたい。そばにいて欲しい。声が聴きたい」
携帯電話を掛ける。
裕司は出ない。
いつも、どんなことがあっても、すぐに出る裕司が今日に限って出ない。
何かあったのだろうか。
いつもならもっと心配するのだが、冷酒の体の芯から来る酔いが私を寛容にさせている。
今、裕司が出たら、崩れ落ちてしまう。裕司の声を聴くと、耐えきれなくなる。
「どうした?」低くぶっきらぼうだが、それが返って素朴な愛情を感じさせる裕司の声を聴くと私は、支えきれなくなる。
良かった。
裕司が電話に出てくれなくて、良かった。
冷酒の冷たい喉越しが、熱い涙となって目から零れ落ちる。
さっき出会った松村さんの定年退職して家でぶらぶらしている旦那さんみたいに、少々ダサくなってもいい。
付きまとわれて、多少鬱陶しくてもいい。
そばにいて欲しい。すっと一緒に暮らしたい。ずっとそばにいて欲しい。
泣きたい。
思いっきり声を上げて泣きたい。裕司の胸の中で泣きたい。
「裕司、わたし泣きたいの」
緩やかに酔いが回ってくるほどに、頭が冴えてくる。
頭がさえてくほどに、思いは募ってくる。
「裕司に会いたい。裕司にそばにいて欲しい」
サティのジムノペティがずっと、同じ言葉を繰り返す。
気が付くと夜中の2時を回っていた。テーブルに突っ伏したまま寝てしまったようだ。
携帯電話を見ると、裕司からの着信があった。