侮辱罪厳罰化に思うこと
仕事で忙しかったのですが今日は余裕があるので2本投稿です。
言うまでもないことだがSNSには誹謗中傷が溢れている。その中でも槍玉に上がりやすいのは芸能人やスポーツ選手などの著名人である。
記憶に新しいのはパリオリンピックに出場する選手たちへの誹謗中傷だ、ひたむきに頑張る人たちでも悪意を向けられるのかと驚いたものだ。
そういった書き込みに対する対策として2022年10月に施行されたのが『プロバイダ制限責任法』である。これは今まで中傷を行っていた発信者の書き込みを削除する際に発信者が受ける損害に対する責任を負わなくて良いこと、また中傷を受けた被害者がプロバイダに対し発信者の氏名や住所の開示請求をしやすくなるという法律である。
簡単に言えば“管理人は書き込みを消したり発信者の情報を公開することがもっと簡単にできるようになるよ”という法律である。
筆者は誹謗中傷は取り締まるべきだと思うし今回の法改正に関しても大賛成である。しかし、手段としてのインターネットを取り締まるだけで満足するだけでは物事の本質を見失ってしまう。改正後、より誹謗中傷を減らしていく世界にするにはどうすれば良いか、我々で考えていく必要があると思う。
現実の悪口はどうする?
今回の法改正で悪意のある書き込みは根絶するとまではいかないだろうが、一定の効果は得られると思われる。
ここで考えてもらいたいのは電子媒体に残らないリアルでの悪口はどう取り締まるのか?また取り締まらなくて良いのか?という問題だ。
口から出る悪口というのは対応が難しい、録音でもしなければ証拠に残らないしどのタイミングで出くわすかも分からないので常に見張っている必要がある。
証人を立てるという方法もあるが、そもそも悪口を言う相手などは信頼のおける身内でもあるし謝礼でも払わなければ中々取り込むのも難しいだろう。
となると国民全員を監視カメラやマイクで見張る必要があるがそれこそスタローン主演の映画『デモリションマン』の未来のようなディストピアな世界観だ。
プライバシーを考慮してAIに監視を一任するという手もあるがそれもそれで少し怖い気がする。詳しい方がいればどのような方法があるか教えていただきたい。
悪口はなくなるのか?
無くなるはやや言い過ぎのような気もするがネットを規制すれば世界の悪口は減るのだろうか?
関わりのない有名人との接触手段が無くなった人々は危険な行動には出ないだろうか?溜まった鬱憤が別の人に向かうのではないだろうか?
再び断っておくが筆者はネットの規制には賛成の立場である。但しSNSや掲示板などのコミュニティは単なる手段であり諸悪の根源ではない。人間の本質は変わらないということを念頭に向き合っていくべきなのではないのだろうか?
見えない恐怖は続く
SNSでの誹謗中傷が無くなれば被害者や周りの目に触れなくなるからいいだろうという見方もある。確かに言葉が見えなくなれば当人は傷つく機会が減るのでそれは良いことである。
しかし、表現の場がなくなったとて発信者の悪意は変わらない。誹謗中傷を開示した結果、近しい人間が発信者の1人であったことも珍しくない。敵か味方も分からない状態もまた人々の生きづらさを演出するのである。
対策
ではリアルで悪口を言われたらどうするか?ペン型のテープレコーダーを持参する手もあるが誤解されたら面倒な側面もある。
私が実践しているのは反論を常に頭の中に10個ぐらい用意しておくことだ。プロレスでも相手の攻撃を受けた時に衝撃を和らげる体勢をとる受け身、通称“バンプ”というものがある。私はそれを身につけてから人の言葉を真正面から受け止めることが無くなった。
あとは家族や友人、恋人、ペットなど誰でも良いので繋がりの深い人の顔を思い浮かべてほしい、そして悪口を言った相手が傷つくに足る人物かを考えていただきたい。
まとめ
痛ましい事件もあり政府も本腰を上げたネット規制法だが、電子媒体で見えるものは氷山の一角に過ぎない。次なる犠牲者が出る前に後手後手に回らずこの先の事も考えてほしいと切に願う。