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『ホラー映画の化学』①

 noteを始めて1か月ほどですが早くも10日以上間隔が空いてしまいました。これは忙しかったとか体調不良とかではなく完全に自分の怠慢ですね、申し訳ない。
 そんな自分への戒めとしてやや物々しいテーマを取り扱いたいと思う。それは"ホラー映画"である。
 自分は気分が落ち気味の時はホラー映画を観ると心が穏やかになる。このストレス社会でささやかな不幸は付き物だが、恐ろしい化け物に無残に殺されるほど不幸なことはないだろう。
 それは『カイジ』でいうところの、鉄骨渡りをする不良債権者の若者たちをワイングラスを片手に涎を垂らしながら見ているような感覚に近い。いわゆる”セーフティーであることの愉悦”である。
 もちろんそれは悪趣味であることは言うまでもない。しかし、それは製作者側も意図して狙っているのだから許してもらいたい。そしてそれは映画の出演者たちもそうであり、彼らの演技が優秀であればあるほど、そして華やかであればあるほど成功の証でもある。

 ホラー映画の話をする上で何も参考資料はないのはまずいので本を探すことにした。Kindle Unlimitedを漁ってみたがなかなか自分の食指が起こる題材の書籍は見当たらなかった。
 そこで仕方なくサブスク以外の書籍を探してみると興味深いテーマの本が見つかった、それが『ホラー映画の科学』である、金二七五〇円也。
 前回の筋トレの本のようにサブスクではないので、手が届きやすいとは言い難いがかいつまんで要約するのでご容赦いただきたい。

 まずホラー映画の手法として何が思い浮かぶだろうか?おどろおどろしい音楽、暗い渡り廊下を渡る足音に怯えながらもゆっくり歩く主人公、舐め回すようなカメラワーク、今にも何かが出そうで出ない、なんだ猫かと思って振り向くと世にも恐ろしい化け物が・・・。

 私はこの虚仮おどし、海外で言うところのジャンプスケア(Jump-scare,
つまりは飛び上がるほど驚かせるというスラング)が嫌いである。
 なんでかというと必ずびっくりするのが分かっているからだ、お化け屋敷に来ているわけではないので練りに練ったストーリーで心の底からゾクゾクさせてほしいと思ってしまうタイプなのだ。

 自分が臆病なのかと思っていたが、実はジャンプスケアでビビってしまうのは”驚愕反応”によるものである。それは捕食者の来襲から身を守るため、ひいてはダメージを軽減するために目をつぶったり顔をしかめることで弱点を保護する働きがあるらしい。専門的な説明は省くが、聴覚(大きな音)や平衡感覚(頭の動きや転倒)、触覚(誰かに触られる)などの情報は感覚を統合する脳幹(橋)に集約されて全身の筋肉を収縮させる。

 そうした伝達経路は遺伝的要因によって過剰に反応するケースもあるようだ。殊に強い人はハイパーエクプレキシア(スタートル症候群、別名びっくり症)という遺伝性疾患らしく信号を抑制するグリシンというタンパク質が生成されなくなることでちょっとしたことにもビックリするようになってしまうものらしい。
(そういえばバラエティ番組で異常にビックリしていたあの人も実はそうだったんじゃないかと今になると思ったりもする・・・。)

 最後になぜジャンプスケアが安っぽく感じてしまうかについて語っている一説を引用したいと思う。

 問題は、ジャンプスケアは反射作用であり、容易に引き起こせるものであるために、最近のホラー映画があまりにもそれに頼りすぎている点にあるのかもしれない。面白いことに、映画やドラマのジャンプスケアを集めた『Where’s the Jump?(ジャンプはどこ?)』というネット上のアーカイブに、ジャンプスケアの評価が高い映画のリストがある。そのリストに載っている七〇本ほどの映画のうち、二〇〇〇年よりも公開されたものはわずか六本しかない(一九八一年以前のものは皆無だ)。私は一ホラーファンとして巧みに驚かされるのは大好きだが、ジャンプスケアの使用が急増しているということは、その分もっと創造的な恐怖が失われているのではないかと思ってしまう。

ニーナ・ネセス(著),五十嵐加奈子(訳).ホラー映画の科学.フィルムアート社.2024.p56






これもジャンプスケアだろうか?ビックリしたかな?

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