【地域おこし協力隊サポーターズ鹿児島 メンバー紹介:副代表 加藤潤】
『地域おこし協力隊サポーターズ鹿児島』(以下:サポーターズ)について知ってもらうにあたり、メンバーや活動紹介を毎月行っています。地域おこし協力隊(以下:協力隊)の皆さんへメンバーの想いを届けることで、顔が見えるようになり、少しでも相談しやすい体制ができたらと思います。
第1弾の記事はこちら。
今回は副代表である加藤潤氏(NPO法人頴娃おこそ会)の想い(第1〜4章)について紹介していきます。
採用する前から時間をかけて
加藤:僕は2010年に関東から南九州市(以下:市)の頴娃(えい)町へ移住し、本業をこなしながら『NPO法人頴娃おこそ会』(以下:おこそ会)でまちづくり活動をしていました。イチ移住者、かつ、イチ民間事業者でありながら、市や地域との接点は多かったので、振り返れば、僕の動きは協力隊っぽかったと思います。でも、イチ個人として同じような動きをしている人が周囲にいなかったので「仲間が欲しいな」と思う時もありました。
2008年から導入された協力隊制度が2013年ぐらいから鹿児島の自治体でも採用が始まるようになり、各所で「協力隊」というワードを耳にするようになりました。活動や仕事を通して、色々な協力隊と会って話をしていくうちに彼らと話が合うことに気づいたんです。「お、仲間だ!」って。それは、協力隊も私と同じように都会から地方へ移住して、葛藤しながら市や地域と向き合っていたからかもしれません。そのうちに「頴娃にも協力隊を採用できないだろうか?」と漠然と思い始めたんです。
加藤:頴娃で協力隊を採用するために2年程時間をかけて、市とのやりとりを重ねながら、個人でも他のエリアの協力隊や担当者が参加する場に足を運んだりしました。時には、頴娃に協力隊や有名な講師を招いて研修会を開催したり。地道なやりとりもあって、市も前向きに協力隊の採用を検討してくれていたのですが、担当部署から「制度をどのように活用したらよいか」といった不安の声もありました。
そこで「初めての協力隊だから、モデル事業という立ち位置で始めるのはどうか?」と提案したんです。おこそ会は様々な地域活動の結果、全国的な賞や事例に取り上げてもらっていたので、市からの信頼はありました。それで市も「色々なモデルがあるから、そのようなモデルが1つあってもいいよね」と言ってくれて、協力隊をおこそ会に派遣する形で採用することになりました。それが2016年のことです。
お互いに「いいな」と思える関係性で支えていく
加藤:頴娃の協力隊第1号として採用したのは鹿児島出身で東京在住のデザイナーでした。2016年春に開催された『鹿児島移住ドラフト会議』がきっかけで心理的距離が縮まり、頴娃へ頻繁に足を運んでくれるようになったんです。僕はただ単に面接したり、募集要項等の資料を読んでフワッと「この町いいかも」と思って来てもらったりするのは少し違うかなと考えていて。おこそ会が受け入れ母体になるってことは、協力隊と一緒に動いていこうという本気度の高さを示しています。もちろん、協力隊を受け入れる体制に色々な形があってもいいと思います。
でも、僕らは仲間として迎えるし、創業をテーマに据えていたので、協力隊の自由度を高め、目標に向かって頑張ってほしかった…。だから、ちゃんと面識をもち、「いいな」とお互いに思える関係性で迎えたかったんです。僕の中では「この人だな」と思っていたし、市とも幸い意見が一致して、多数応募がある中で、良い関係性のある人が協力隊になってくれたので本当に良かったです。2017年春に採用した協力隊も同じように良い関係性がある人が移住してくれました。
加藤:おこそ会のメンバーの多くは地元出身者で本業をこなしながら活動に参加しています。私もですが、移住者はその隙間時間で仕事を作っていかないと生活していけません。創業を前提に協力隊を採用していたので、ありがたいことに「副業OK」の承認を市から受けていました。とはいえ、頴娃に移住してくれた協力隊が自分で仕事を作って創業するまでの流れを設計することに責任の重さを感じていたし、結構苦労もしました。「応援するってなんだろう?」と自問自答する日々でした。
その中で、おこそ会の活動に絡んだデザインを発注したり、協力隊の一人がゲストハウス事業を始めようとしていたので改修ワークショップの開催や備品関連でサポートしたり、僕らなりにできることをやっていきました。僕は楽しみながら「自分のため」「頴娃のため」と思って動いていたけど、それが結果的に、協力隊が仕事を創っていくことに繋がっていったんだなと思います。
行政ときちんと話ができる体制づくりを
加藤:もちろん成功した話ばかりではありません。失敗もたくさん経験してきています。失敗していく中で、市も僕らも多くのことを学んでいきました。学んできたことを通して、協力隊を採用する際の「南九州市スタンダード」ができてきたかと思います。
個人的に嬉しい市の動きとして、協力隊を募集する前に担当部署が採用を検討する部署に対してヒアリングをするようになったんです。しかも、その内容が結構細かくて…。単に「どんな協力隊を採用したいのか」だけではなく、任期後の創業・就業への流れやビジョン等、市にとっても採用される協力隊にとっても長い目でみた下準備をしてくれるようになりました。色々なことに目が配られていてありがたいです。
加藤:仕事で他のエリアへ行くと、そこで会った協力隊から愚痴や不満を聞くことがあります。その後、風の噂でそういった協力隊が辞めてしまったことを聞いて、悲しい気持ちになることもありました。
「行政に対して助言できたり、採用する前に目的や創業の流れについて時間をかけて行政と一緒に考えたりできるような体制づくりをしないと。悩みを聞いたりアドバイスは僕らでもできるけど、これだけはどうにならない。」
そう思うようになってきました。そこで協力隊に関する行政向けの研修会を開催することにしたんです。信頼する仲間と2回開催したのですが、県が広報でサポートしてくれて、多くの行政職員が集まってくれました。確か70人ぐらいだったかな。集まった協力隊や行政職員の声を聞いているうちに、両者に対する支援の必要性をさらに感じました。研修会を一緒に開催したサポーターズ代表の佑太(吉村佑太氏)とも同じ想いだったこともあり、話し合いを積み重ね、サポーターズを立ち上げることになったのです。
安心して委ねられる人がいるから、僕は現場からアプローチしていく
加藤:サポーターズの活動を展開していく上で佑太の存在は大きいです。彼は協力隊OBとして、総務省に出入りをして皆の想いを国に伝え、さらに他県の隊員の相談や研修担当をしており視点が幅広いので大きな役割を果たしていると思います。協力隊に対しては「1年目はこう動いてほしい」「こういうことを覚えてほしい」だったり、行政に対しては「協力隊制度を活用する上で、ここに気をつけてほしい」だったりと助言してくれるので、安心感があるし、そこに幸せも感じるんです。
だから彼に委ねられるところは委ねて、僕は現場に即した視点で協力隊や行政に対して支援していこうと思っていて。僕は協力隊を民間団体として受け入れた経験やノウハウもあるし、コミュニティ大工として色々なエリアへ足を運んでいるので地域や行政に入り込んでやっていけたらと考えています。草の根的に現場から支援していくことで、一人でも幸せにチャレンジできる協力隊を増やしていけたら嬉しいです。
加藤:各地で悩んでいる協力隊や行政職員も多いと思います。でも、それに対する対応策って必ずあるはずなんです。だから、まずは気軽に声をかけてほしいし、気が向けば相談してほしい。まちづくりも同じで、良いネットワークがあれば大概の問題って乗り越えられるはずです。僕はもっと行政や地域にアプローチしていきたいと思っていて、協力隊を採用する前に一緒に色々考えるきっかけを作っていきたいです。
たまに、行政と関係を崩して協力隊が辞めていく話を耳にすると、すごく勿体無いと感じます。協力隊が自由度をもって動き自己実現ができれば、その地域はもっと元気になるし、そういう人たちが集積したら鹿児島はすごく良くなる。僕はそう思っています。本当、協力隊ってとても可能性がある制度なんです。異動してきたばかりの行政職員や制度を導入したばかりの担当部署だと重みを感じるかもしれません。そういった行政職員や担当部署のためにサポーターズでは初任者研修も行っています。協力隊も行政職員も共に学びながら、制度を活かせるように僕らのできることで最大限協力していきたいです。
(終わり)