地域おこし協力隊サポーターズ鹿児島 メンバー紹介:有木円美
『地域おこし協力隊サポーターズ鹿児島』(以下:サポーターズ)について知ってもらうにあたり、メンバーや活動紹介を毎月行っています。地域おこし協力隊(以下:協力隊)の皆さんへメンバーの想いを届けることで、顔が見えるようになり、少しでも相談しやすい体制ができたらと思います。
第2弾の記事はこちら。
今回は『NPO法人風と土の学び舎』・ 都市農村交流プロジェクトリーダーの有木円美氏(南大隅町地域おこし協力隊OG)の想い(第1〜4章)について紹介していきます。
農家と関わりをもてる仕事をしたくて
有木:私は大学時代にフィールドワーク等を通して地域づくりについて学んでいました。その中で一番魅力を感じたのは農家レストランでした。
私自身、何度も農村地域で現地の人たちから元気をいただきました。好きなメンバー同士で楽しそうに活動している姿に魅かれ「農村で活動する人たちと一緒に仕事をしてみたい」と思うようになったんです。
その気持ちが次第に強くなって、大学卒業後は長島町のジャガイモ農家さんに3ヶ月間住み込みでお世話になりました。
実際に農家さんと毎日を過ごして、不慣れなことも多かったです。でも、それ以上に楽しい気持ちと学びが多くて、グリーンツーリズムや観光を軸にした仕事をしたいという気持ちが明確になってきました。
有木:大学卒業後、色々と情報収集をしているところ、地域づくりの勉強会が頴娃(えい)町で開催されることを耳にし、足を運んでみることにしました。
その会では今の私にも繋がる大きな出来事が待っていました。それは『NPO法人頴娃おこそ会』の加藤潤さん(以下:潤さん)出会いでした。
「こんな仕事がしたい」と想いを伝えると、潤さんが「南大隅町で素敵な方がいるから、紹介するよ」と言ってくれて。
紹介していただいた方は南大隅町で20年以上も東京農大の農業実習や民泊の受け入れを行っているNPO法人代表『風と土の学び舎』の梅木涼子さんでした。
あわせて、梅木さんが紹介してくださった地域のみなさんとも顔合わせをすると、すぐに意気投合し、ちょうどそのタイミングで南大隅町の地域おこし協力隊の募集があったことを知り、応募してみることにしました。
それが私が地域おこし協力隊になった背景です。
地域に根付いた活動をするために
有木:南大隅町の協力隊としての仕事は町役場と観光協会の職員に近い内容でした。庁舎の職員と同じようにデスクで仕事をすることがほとんどで「私が思い描いていた協力隊とは違うな」と感じていました。
「地域の人と一緒に活動をしたい」気持ちが強かった私にとって戸惑うことばかりでした。ただ、ずっと戸惑っていても何も変わりません。
だから、自分なりに考えて企画書を作って役場に提案してみることにしました。観光の一つにもなるし、地域のためにもなる。だから、この企画をさせて欲しいって。
ありがたいことに役場は私の提案を承認してくれました。その後は、まちの人たちと一緒に観光体験プログラムや民泊の受け入れのサポートをさせていただくことになります。
有木:企画提案をしたものの、初めてのことばかりだったので一つ一つのことをこなすのに精一杯の日々でした。そんな私でも地域の人たちは、失敗を受け入れてくれたり、色々と丁寧に教えてくれたりしました。
企画をする前は、地域に根付いて何かをする時間がなかなか取れなくて、思うように行動できず、そんな自分に悲しさや悔しさがあって落ち込むこともありました。
でも、一緒に活動していくうちに打ち解けていって「今度はこれを一緒にやらないか?」「イラストって描ける?」等の声かけをしてもらうようになって。勇気を振り絞って企画書を提出してよかったなと思います。
地域に根付いた活動をさせていただいたからこそ、応援してくれる人や大事な人たちが増えていったので、本当にありがたかったです。
夢のまた夢、を皆の手でカタチにしていく
有木:協力隊の半分が過ぎた頃ぐらいから卒業後のことを考えるようになりました。将来のことをうまくイメージできずに悩む日々が続き、2年目が終わる頃には一度協力隊を辞めようと思った時期さえあったんです。
そんな時、梅木さんや潤さん、そして地域の皆さんにも相談に乗ってもらいながら支えてもらい、何とか卒業後のイメージが少しずつ湧いてきました。
その中の1つが古民家改修をして拠点を作ることでした。私が住んでいる栗之脇集落に空き家があり、何とか活用したい気持ちがあったんです。
協力隊として過ごしていて、町外から友人やお客様が来た時にゆっくりおもてなしができなかった悔しさもありました。
そんな時、潤さんが頴娃町のゲストハウスでベッドを作った写真や、横川で施主さんとともに改修を進めていく姿をSNSでアップしていて「ぜひ潤さんに関わって頂きたい」と思ったんです。
有木:改修を始める前は“夢のまた夢”のような感覚でした。どこからどう始めたらいいかわからない、資金も確保できていない、用途も決めきっていない。そんな私に改修なんでできるんだろうかって。
でも、潤さんに毎月のように改修に来てもらうようになってから、私も一緒に作業するようになり、少しずつ腕を磨いていきました。そうしているうちに、潤さんから「町外の現場に一緒に仕事として行かないか?」と声をかけてもらったんです。
潤さんの現場には、強い想いを持った施主さんがいらっしゃって、沢山の人を巻き込みながら改修を進めていて。そこでできたつながりから、南大隅町まで足を運んでくださる方もいらっしゃったりして。
地域の人たちも、色々な人が集まる改修現場を目にして「完成が楽しみだね」と声をかけてくれるようになりました。まだちゃんと開業できていませんが、この建物を『栗のや、』と名付けることにしました。
一歩外に出た世界に踏み出すことで
有木:協力隊時代の反省として、行政の性質や仕組みについて勉強不足だったなと感じています。時には、不満をぶつけることもあったのですが、行政の立場にある人は、その立場なりの考えがあるんだなって気づきました。
だから、意見が合わないとか、自分の思うようにいかないから「相手が悪い」と思うのではなく、相手の立場になって物事を考えないといけないと思うようになったんです。
地域の人とは直接お話する時間を大事にしていて、例えば、地域の方が主催の企画では、その方の想いに寄り添って、それがカタチになるように影で支えることに専念していました。
行政とも地域とも、それぞれの関わり方や向き合い方がある。それが協力隊時代の一番の学びだったかもしれません。
有木:サポーターズには代表の吉村さんからお声かけいただきメンバーとなりました。協力隊時代に開催された研修会きっかけで、吉村さんと潤さんが協力隊の受け入れや支援体制について強い想いをもち動かれていたことは知っていたので、私なりに力になれたらと考えています。
大隅半島の協力隊は、お互い情報交換や交流をして、切磋琢磨し合っています。協力隊って、どうしても自治体で区切られてしまって、他のエリアの協力隊がどんな状況にあるかがわかりにくいです。
だけど、一歩外に出てみれば、「あ、この悩みって共感してもらえるんだ」って思うこともあるかもしれません。私自身、大隅の協力隊の仲間たちの存在は大きくて、彼らがいたからこそ弱音を吐けたり、問題を解決できたりすることもありました。
拠点が完成に近づいているので、そこで一緒にご飯食べながらとか、南大隅町の体験プログラムで一緒に遊びながらでもお話はできるので、気軽にお声かけいただけたらと思います。
(終わり)