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いや、関係ないぞ。 夫婦別姓と共同親権


 気になったので備忘録のような形でここに記すことになったのだが、ここ数日なにを思ったのか、選択的夫婦別姓論と共同親権論を結びつけるような言説を見るようなことがあった。

 正直、初見の感想としては全くもって意味がわからないのである。思想的親和性はあるのかもしれないが(従来的には、双方ともリベラル側の主張から出やすいものだから)、論理必然的に双方とも反対や賛成になるような制度ではない。

 元々双方何ら関係性のない制度であり、姓が同じが違うかによって、親子関係のことが必然的に決まるものでもなんでもない。現実的にも夫婦別姓には賛同する意見をだしながら、共同親権には反対なんていう勢力が普通に日本で暮らしているんだから、その人自身が必然性がないことを証明してしまっているようなものだ。


 なので、自分の頭で考えていてはますます考えが理解できないので、なんでこんなことを言っているのかをちょっと調べたら、まあなんというか・・・という話が出てきたものでして。


そこには「家」の男支配の貫徹が根底にあります。もちろん段階的に早急に選択制を導入することは当然のことです。
それと同じ発想の延長線上にあるのが、離婚後の共同親権の考え方です。


 夫婦別姓論が主体の記事で、共同親権についても触れられているものなのだが、結論から言うとこの記事のようなことはとても勘違い、いやむしろ意図的な論筋のねじ曲げをされている可能性があると考えられる。

 共同親権に関しては、そもそもの制度趣旨は子供が親から養育を受ける権利を保障するものであって、親に対しては子供を養育しなければならないという義務(ここ超重要)というものを目的としているものであって、家制度もなにも出てこない。子どもの権利条約においても第9条1項には

締約国は、児童がその父母の意思に反してその父母から分離されないことを確保する。ただし、権限のある当局が司法の審査に従うことを条件として適用のある法律及び手続に従いその分離が児童の最善の利益のために必要であると決定する場合は、この限りでない。このような決定は、父母が児童を虐待し若しくは放置する場合又は父母が別居しており児童の居住地を決定しなければならない場合のような特定の場合において必要となることがある。


 となっているものであるから、共同親権論は子どもの権利条約といった別の制度趣旨に基づいてなされるものである。詳しくは書かないが、実質的にも親子の離婚における影響なども考慮されての導入なのだが、そういった制度趣旨がまるで触れられていない。

 家制度といわれても、そもそもどこがどう家制度に繋がるのか普通に考えたら全く意味不明であり、現在の単独親権制度であっても離婚してしまえば、その子供が元夫の家を継ぐときまったわけでもない。(そのまま父親と会わなくて疎遠になる場合や、独立して別の所帯を持つこともあるわけで。支配がそもそも及ばないこともある。もっといえば、両親が離婚していなくても、別のところで離れて暮らすなんてのは珍しい話でも何でもない。)
 それが、共同親権で家制度が維持できるとか、優位になるいうわけでもないのだろう。子の監護権が制度変更とともに父親に優位になったり対等になったりするわけでもなく、父の家を継ぐという因果性もなにも証明されていない。

 この程度の説明でも、関連性や必然性がないことは簡単に説明できるのだが、妙な話が一定数出ているのは敵対する相手や主張をごちゃ混ぜにしてしまっているのではないだろうか?と思われる。

 そもそも、日本における特異な話だが、リベラル側のほうが共同親権に熱心に反対しており、状況によっては保守的な人物のほうが共同親権に賛同してくれるケースがある。そこに、保守派からの夫婦別姓反対論者からは「家族の絆」という理屈があるのだが、姓を同じくすることによって責任や一体性を出すというのは、昔の家制度と結びついている部分があるか、もしくはそういう風に思う部分がどこかででてきているのではないだろうか?

 そして、保守派勢力とその主張を結びつけたとき、共同親権が保守的な家制度を守ろうとしていると、頭の中で誤った連想ゲームがおきてしまったのではないだろうか?それに引っ張られる形でその他の人たちも良くわらかないままにその論理に引っ張られているように考えられそうである。

 

 多分、この手の話の実態はこんな感じなんだろうかと。あまりに馬鹿げた論理飛躍であるが、敵を攻撃するためなのかなんなのか。フランケンシュタインのような継ぎ接ぎ論理ができあがったのではないかと推察される。突飛な推察だが、これ以外に考えることが難しかった。

 制度そのものは客観的には関係ないのだが、想像力が及びすぎるとものすごく関係があるように見えるらしい。


ちなみに

>あるべき姿は別姓です。選択制ではありません。選択制にすると支配関係の中で同姓に従わされる場合も想定されるからです。未だに「家」的な発想が強く、選択制は賛成だとしても自分のところは別みたいな発想も根強いのが日本という国です。特に年代が高くなると選択制にも反対が多数になります。

 とか書かれてはいるが、碌な調査もしていないただの妄想であり、別姓を導入している海外がどうなっているのかは既に下記の過去noteにて指摘済みである。(別姓導入でも旦那の名字と同じにしてるとか、子供が旦那の名字ばかりだとかそんなのばっかり出てきたよ。)迷惑千万な思い込みであり、他人に対して余計な手を煩わせるようなことをしないで頂きたい。




その他参照



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