役に立つ、役に立たないという評価軸について思うこと【それだけに捉われると見失うものもある】#603
おはようございます。(1047文字)
6/21 昨日、久しぶりのテストの印刷に学校にいってきました。そこで、同じ理科を教える先生とゆっくり話をする時間がありました。誰かとこうして言葉を交わす時間が自分にポジティブな影響を与えてくれるって感じられました。おこめさんです。
今日のタイトルは、今朝モーニングページを書きながら浮かんできたものです。
「お金を稼ぐ」
「規模を拡大する」
という評価軸がどこか虚しさにつながる
というのは直感的にわかる気がするのです。
だったら、「社会に役に立つ」という軸ならどうでしょう。
困っている人が確かにいて、
その人のために、その人の抱えている課題を解決するために動く
これはすごくかっこいいことだなって思います。
が
それを至高の評価軸としてしまった世界は、すべての人にとっては優しくないのかなって思ってしまう自分もいたのです。
例えば障害を追ってしまって(もしくは生まれながらに)それができない人もいるわけです
誰かのために動くってことをしたくてもできない人
そういう人からしたら、この評価軸を持つ社会(社会の課題を解決するを第一に考える)は果たして優しいんだろうか と。
もちろん困っている当事者側として、困り感を解消してもらえる
サービスの受け手として享受できるものはたくさんあるでしょう
人としての優しさに触れる場面もたくさんあるとは思います
だけど、その人が送る側になりたいって思ったとき
(社会的にそれがいいってなっていたら、そうなりたいと思うのは自然の流れ)
それができないってなったとき、
その人の感情の持って行き先はどこになるのでしょう。
「それは今の世の中だって同じ」(お金を生むこと、お金を循環させることが至高な世界)
というのはただの言い訳な気もするのです。
もっとよりよい社会を目指すっていうことであれば、できればよりよい理想的な社会を
もっと包括的に優しい世界を
目指していきたいなって思うのです。
もちろん、今のぼくに具体的なビジョンが見えているわけではありません。
それを実現させていく力も経験もありません。
だけど、なんとなく自分の頭にうかんだモヤモヤは大事にしておきたいと思って今日の記事にしたのです。
今日もここまで読んでくださってありがとうございました。
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