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いじめっこ問題を考える【義務教育の大切さ】
おはようございます。”おこめさん”です。
最近話題の小山田さんの件を受けてふと思ったいじめ問題について考えてみます
おこめさん→教員10年の末、独立した2児のパパ。オンライン塾 おはこやを運営中。
いじめた人が少ない問題
どういうことかというと、有名人でいじめられたという人が話題にあがることが多いのに対して
いじめをしてたって人は少ないですよね。
(今回の小山田さんは自分からいじめをインタビューで答えてる珍しいタイプ)
これはいじめ自体に引け目を感じて隠しているという人がいる一方で、
そもそもいじめた自覚がない問題や
いじめた事実を忘れている問題があるのだと思っています。
された側は、たとえいじめた側が忘れていたとしても、一生覚えているものなのにです。
どうして自覚をもてないのでしょうか。どうして忘れてしまうのでしょうか。
自覚がない、忘れる問題
▼自覚に関しては、
・単純に相手も喜んでいたと思っていた
・遊びだと思っていた(鬼ごっこをみんなでやる感覚)
・まわりみんなでやっていたので、それが当たり前(いじめではない)と思ってた
▼忘れていたということについては
・そこまで深い反省に至っていなかった(そこまで心に刻まれていない)
ということが原因として挙げられそうです。
(まだ他にも原因はたくさんありそうですが)
これらの問題に対して真正面から向き合う機会というのが
学校で行われる生徒指導なんだと思っています(公教育としてのセーフティネット)
生徒指導は
いわゆる、怒鳴りつけて怖がらせる
とにかく反省の言葉を言わせる
そんなカタチではほとんど行われていません。
少なくともぼくが知っている学校や先生の指導はそうではありませんでした。(だからほとんどと書きました)
この目的は子どもたちがしてしまったことを受けて、深く反省し、今後の人生に生かす ということだからです。
いじめは犯罪です。
しかし、実際に犯罪を犯した子どもたちにも必ず反省の機会が与えられています。
学校であれば尚更です。
子どもたちがやってしまったことに真摯に向き合い、心から反省し、相手にその思いを伝える(被害者の思いが第一なので、必ず謝らせるというわけでもありません)
そうやって初めて自分がやったことを理解し、それを背負って歩んでいけるのだと思います。
そもそも、自分がやっている行為がいじめである
と誰かに突きつけられないと、いじめということ自体を理解せず、自覚なく過ぎていってしまいます。
このように、そんな機会がきちんともられていなかった場合、(いじめがバレなかった、内省の機会がなかったなど)
おそらく、世の中には無自覚ないじめっ子がたくさん存在してしまうことになるのでしょう。
そうなると、いじめは繰り返されます。
大人の社会でも。
でも、大人に対しては犯罪として取り上げられることになるので、いじめどうこうの反省というよりは、その行為やその行為がバレてしまったことに対して意識が向いてしまいがちです。
その意味で義務教育の間にいかにいじめと向き合えるかが大切なんです。
いじめってなくなるの?
いじめはこの世の中からなくなるのでしょうか。
難しいのかもしれません。
今なお世界中では戦争が続いています。
身近なところでは、職場内でのいじめが今も続いてるところもあるでしょう。
Twitterなどでは、今も炎上が続いていたり、誰か一人をみんなで叩くという構造が成り立っています。
本当は、
相手の立場になって考える
そんな基本的なことで回避できる問題もあるんでしょうけど
それ以上に、一人ひとりに余裕がなくなってしまってるのかもしれません。
本当の意味でいじめがなくなる社会、
理想ではありますが、これからも一人の大人として追い求めていきたいものです。
何ができるかわかりませんが、まずは身近なところから温かい世界を広げていきたいです。
今日もここまで読んでくださってありがとうございました!
ブログ こめたか
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