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先生だったときの自分のもがきの歴史②【少しずつ自信をつける】#659
こんばんは。(朝投稿したと思ってたら出来てませんでした)
8/16 昨日は一日娘DAYでした。22日間も自宅待機を我慢していた3歳の娘(家族の中で最長)ようやく外に出てもいいことになったので、一日娘が行きたいところに行く日にしました。お目当ては、100均と焼肉屋さんでした。一日いっぱいいっぱい遊んで満足してもらえたみたいです。おこめさんです。
今日は昨日に引き続き、教員時代の自分の黒歴史を振り返る記事になります。
特に先生だったときには、自分の悩みや葛藤、弱さみたいなものってまわりにオープンにしずらい感じがあって、(これは自分のプライドがそうさせてたのかもしれません)
ほとんど誰にも言ってこなかった部分です。
で、先生ってそういうところあるよなぁって思ったりしたのです。(誰にも相談しずらい というか、こういうことを言いにくいっていうか)
だけど今のぼくだったらオープンにできる気がするなって思ったし
そうすることで、今学校現場で苦しんでいるいろんな先生に少しでもつながりを感じてもらえたらいいかなって思ったのです。
また、そういう経験をしてきたぼくだからこそ共感できるところ、寄り添えるところがあると思うし、そういう先生を勇気づけるコーチングができるんじゃないかなって思ったのです。
目の前の問題解決の手法を伝えるっていうよりも
本当はどういう教育を子どもたちに届けたいんだったか
その結果子どもにどんな姿になってほしいのか
そういう理想の教育像をコーチングによって聞かせてもらい
あなたにとっての理想を言語化するお手伝いをする
そんなことをしていきたいなって思ったのです。
そう考えたときに、自分のこれまで隠してきた弱さはもしかしたら強みになるんじゃないかなって思えて
そう思えた瞬間、自分の教員生活の経験(とくにうまくいかなかったって思う経験)は自分だけの良さに変わるって心から思えて、自分のすべてを受け入れてあげられる気がしたのです。
そんなこんなで今日は教員生活3年目からを振り返ってみたいと思います。
もしよかったら最後まで読んでいってください。
前回の記事はこちら
▼教員3年目
初任から二年間持ち上がりで担任を持たせてもらったのですが、ここにきて、一旦担任という役割から離れたいって思うようになりました。
校長先生やまわりの同僚に無理をいって、はじめて副担任をさせてもらうことになりました。
というのも、これまで二年間で、どれだけやってもうまくいかなくって、あたらめて担任としての声掛けやクラス経営を自分の目で見て学んでみたいって思ったからです。(+心のどこかで担任という役から逃げたいっていうのもあったと思います)
そのときの学校は1学年3クラスの小規模校だったのですが、
3年所属の副担任として1年間を過ごさせてもらうことになりました。(3クラスの先生のやり方の違いも学ぶ)
副担としてのはじめの感想は「めっちゃ時間あるやん」でした。(楽って書くと語弊があるので、「時間ある」です)
副担任と担任の一日の流れの違いをさらっと紹介しておくと
担任は朝の出欠確認や朝読書(学習)の指導があって8:25くらいからは教室につきっきりになります。
昼食指導も担任の仕事です。
クラス全員が揃っているか、座って準備ができているかなども確認して「いただきます」をします(それができていない生徒を探したり、声掛けしたりもします)
お昼休み中のクラスの様子も大抵の担任の先生は見守っていたりします。
あとは掃除と終礼の時間です。(掃除は副担任の先生も分担があります)
終礼が終わったあとの教室の整備などをしている先生もいるので、終礼から放課後あたりにかけて30分くらいは担任ならではの仕事があるといえると思います。
そういう時間の差も、副担任になってからはじめてわかりました。
「副担めっちゃ時間あるやん」でした。
副担任としての1年間は時間的にも精神的にもかなり自分に余裕をもって過ごさせてもらうことができました。
いろんなクラスに顔を出させてもらって、それぞれの先生がどんなタイミングでどんな指導をしているのかを学ばさせてもらいました。
ただ、この一年間もずっと安定していたかというとそうではありませんでした。
2学期の文化祭が終わったくらいの時期にあるクラスがかなりしんどくなってきました。
・授業中に静かにできない
・先生の指示が通らない
・勝手な行動を取る
当時、ぼくが感じていた思いとしては
「武器を持たずに戦争に駆り出されている感覚」でした。
教室に向かうと、向こうからは攻撃されるのに、反撃はできない
そんな状況でした。
今となってはもっとやりよう(声掛けや学年体制など)があったかと思いますが、かつての自分にはどうしようもなかったです。
真面目な子たちに対してまっすぐ授業を届けられなかったっていうのが何よりも悔しかったです。
最後の最後まで戦いましたが、勝てたのかと言われると・・・な感覚です。
(ここでいう勝てたというのは授業としてきちんと成立させられたか、しんどい子たち含めてクラスをこっちに向かせることができたのか)
そうして、はじめて先生として関わらせてもらった子たちが卒業することになりました。
ここで、やっぱり担任をしておけばよかった
と心から感じるかどうか 自分の中でも試したかったのかもしれません。
副担を選んだことに対する後悔
そんな気持ちが出てくるのかどうか
結果としてその後悔は
出てきませんでした。
このときからぼくは担任として燃える みたいな情熱を感じたいけど感じられないっていう状態だったのかもしれません。
▼教員4年目
はじめての子たちを卒業させた次の年度
再び1年生所属になりました
と同時に、小学校への理科専科の教員としての勤務も決定します。
(大阪府が進めていた小中連携事業の一環)
その関係でこの一年も副担でした。
この一年間は週に小学校6年生9時間、中学校1年生6時間
そういう時間配分で授業をすることになりました。
籍としては中学校にあるので、クラブ指導や生徒会指導はあります。
学年所属も1年生。
ですが、授業の時数としては小学校の方が多く
小学校にいる時間も半分くらいあったかと思います。
ここからの2年間は小学校での理科指導の経験を積ませてもらうことになります。
中学校と違って、小学校では2時間続きの授業を確保することも多く
時間に余裕をもって授業を進めることができました。
ただ、テストを意識しないでいいかっていうとそうでもなくって
小学校にも単元毎に行われるテストはあって、そのテストに出題される問題は授業の中で回収しないといけません(ここらへんは中学校と近いなって感じました)
そういう縛りの中でいかに子どもたちに理科が楽しいって思ってもらえるかを意識して授業づくりを行っていました。
また小学校のいろいろなクラスを見学させてもらい、小学校の先生方の授業作りのすごさも目の当たりにしました。
(どの授業を見に行ってもどれも考え尽くされている感覚をうけました)
授業作りに火がついたのはこのあたりだったかもしれません。
そんな小学校に片足突っ込んだような状況でも中学校側に居場所を感じれたのは、生徒会本部を任せてもらっていたからでした。
お昼休みや放課後に何度も集まってみんなで話し合うあの時間は
確かに自分はこの学校に所属しているっていう感覚を持たせてもらえていました。
生徒会として、子どもたちの主体性を育む、自治的な組織を作るっていうことにやりがいを見出したのもこの年度があったからでした。
▼教員5年目
この年も前年度と引き続き1年生所属でした。(去年教えていた小6の子が中学にあがってきました)
また6年生への授業も担当していました。(週9時間)
小学校への授業も二年目ということもあって、前年度の失敗を活かした授業作りができている感覚がありました。
中学校でも引き続き生徒会本部を担当させてもらい、
それまでよりもより子どもたちが主体となった生徒会運営ができていたと思います。(本部役員が行事の実施計画を作り、クラスにおろしていく形)
こうして徐々に担任として以外の部分にやりがいや自分の中の自信というものを見つけていき、
先生という職業がより一層好きになっていくのでした。(担任をしていた当時は自分は先生に向いてないんじゃないかってずっと思ってました)
▼おわりに
今日は3~5年目を振り返ってみました。
徐々に先生という仕事が好きになってくる そんなタイミングだったと思います。
副担を希望し、それを通してもらえたことも大きかったし
そういう余白も確保してもらえるっていうことにありがたさを感じた部分でもありました。
こうして初任からお世話になってきた学校とはさよならすることになり、
教員6年目からは初めての転勤を経験することになります。
そして、満を持しての担任復帰もこの二校目からです。
果たして久しぶりの担任はうまくいくのか 乞うご期待です。
ということで、今日もここまで読んでくださってありがとうございました。
もしよかったら明日も見に来てください。
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