家政婦を雇う妄想をしてみた【ちょっと違和感の正体】#678
おはようございます。
9/4 昨日は子どもたち二人と思いっきり遊ぶ日でした。フタをあけてみると、三人で遊ぶ時間というよりはそれぞれがやりたいことをやる時間だった気がします。最後にはみんなで部屋の片付けをして、ぼくとしてはそれが一番楽しかった(気持ちよかった)時間でした。 おこめさんです。
昨日の夕方から岡山にきています
娘が夏休み中に行きたくて行きたくてしょうがなかったおばあちゃんの家
(コロ助でいけなかった)
そのリベンジとして今回家族四人で岡山にきています。
ここに着くなり娘は200%の笑顔で、
その表情を見れただけで、連れてきてよかったぁ となりました。
なので、今朝は岡山にて朝活をしています
(外を歩きながらいろんなことを考えてつぶやく朝活)
肌にあたる風を心地よく感じながら
なんとなく将来 豪邸に住んでる 姿を妄想していました。
家政婦を雇って、いろんな家事をしてもらえてる
そんな状況も です。
で、いろいろと考えているうちに、そもそも家事を任せるってことは本当に幸せにつながるのかなって考えるようになりました。
今日はそんなこんなで、つらつらと思っていることを書いていきます。
おこめさん→10年の公立中学校勤務を経て独立。公立学校を外側から支えるために、オンライン塾を設立・運営。子ども~大人までを対象としたライフビジョンコーチとしても活動。半年の育休を取得した朝活大好き2児のパパ
▼家政婦にお願いするという選択肢
家事が多くて、それにとられる時間も長くて
家政婦を雇うっていうの、あると思うのです。
家事にとられる時間の分、家族でゆっくり過ごしたり仕事をしたり
みたいな。
だけどそれによって失うものもあるのかなぁって思ったりもしたのです
▼家事を通して得られているもの
それが家族への貢献感であったり
共同で作業することで家族のつながりがふえたりってことな気がします。
(畳んでくれてありがとう とか 誰が一番たくさんたためるか競争とか)
時間を浮かせるために家事を誰かに任せることで
確かに時間は生まれます
だけど、そうなったときに 家事を通して得られていたものに気づけるのかなって思いました。
▼最強なのは家事が楽しい、好きって感覚
だと思います。
家事をしながら、貢献感や充実感を味わえる
これが最強なのかなって思いました。
いつか大豪邸に住んだとしても 家政婦を雇うっていう選択肢はとらないのかなって 今のぼくは考えました。
将来の自分がこれを見たらどう思うかですね
今日もここまで読んで下さってありがとうございました。