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第1話 子どものいない夫婦

令和の時代、多様性という言葉で片付けられてしまう。

私たち夫婦には子供がいない。
子どもを授かる事が”叶わなかった”のだ。

私たちにとって、その事は過去になった。
受け入れる事でやっと先に進めた。

不妊に悩む全ての夫婦に知ってもらいたい。
一歩踏み出す勇気を。
精いっぱい手を伸ばす温かい小さな手があることを。

40歳になった私たち夫婦、不妊に悩み、苦しみながらそれでも仲良く2人で過ごしていた。リビングの大きめのソファー、ファミリータイプの冷蔵庫、子ども部屋にする予定だった余った部屋。
子どもに選ばれなかっただけ、私たちの元には訪れなかった。

TVから児童虐待のニュースが流れるたびに、他人事ながら”悔しい”感情が湧いてくる、私なら絶対にそんな可哀そうな事をしないのに、と。

そんなある日の事、「子どもが欲しい。」という当たり前だと思っていた気持ちを、改めて夫婦で話し合った。

「なぜ、子どもが欲しいのか?」

当たり前だと思っていたけれど、不思議と言葉に詰まった。
二人でありったけの理由を出し尽くした後、自然に里親という選択肢に話題が移った。

里親・養子縁組の制度については、知っていたけれど、改めて話すのはいつぶりだっただろうか。
出し尽くした「子どもが欲しい理由」を考えると、血縁はそんなに大きな問題なのだろうか?
40歳という年齢が、思考に大きな変化を与えたんだろうと今は思う。

「今から5歳くらいの子どもを受け入れれば、その子が成人してもまだ60歳前だね」
「そう考えると、普通の家庭と同じくらいかな?いいんじゃない?」

子どもの話題で楽観的になったのは、久しぶりだった。

男の子だったら、思春期大変かなぁ?女の子の方が育てやすいって言うじゃない?
まだ見ぬ子どもをあれこれ想像し、冗談も言いながら話しているうちに
里親になる事が私たち夫婦にとって、良い選択な気がしてきたのを覚えている。

「子どもが欲しい理由」

きっとこの答えは夫婦の数だけ答えがあって、夫婦二人で叶えたい憧れなんだろうと思う。

私たちのたどり着いた答えは、「愛してあげたい、親に愛されたように」という事らしい。
楽しそうに話す目の前の女性は、とても優しく穏やかに笑っている。

その表情を見て、私は決意を固めた。正直、詳しい事は何もわかっていないけれど、
「子どもに選ばれなかった事」を受け入れる事が出来た気がした。

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よもやま話

一番苦しかったのは、奥さんに「私のせいで、ごめんね」と謝られる事だった。正直、子どもが出来なかったらそれで良いとも思っていた。
母になりたい、子どもが欲しい、それは奥さんの願いだと、どこか感じていたのもある。

しかし、「里親になる」と決めたのは、紛れもなく私の意志であり、「親になる」事を等身大で感じられたのかもしれない。

不運な子どもを救える事にも、少なからず正義感に似た感情もあった。
この後、本格的に制度や現状を調べ、知る事になり心が揺れる事にもなるのだが、、、
それは次回以降に綴っていこうと思います。

おわり


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