地方公務員として兵庫県知事パワハラ問題に感じること、組織に対する違和感を無視しないこと
お二人の県職員の方々が自ら命を断たれた事は本当に痛ましい限りでやるせない思いで一杯です。
報道が過剰気味で嘘か本当か分からないような記事も多いと感じます。
そのなかで特に、おねだりと言われていることに違和感を感じています。
首長へ自分の地域の特産品をPR兼ねて贈呈し、首長側も有り難く受け取ることは、よくあることではないのかなと思うからです。
兵庫県庁にこの件での苦情が多く寄せられ担当の職員さんがとても疲弊されていると聞きます。
苦情対応は末端の担当職員さんであり、県政停滞の一つでもあります。
県民よりも直接関係ない他県の人が報道をみて、意見というよりは、自身の何かのはけ口として苦情を言うことも多いのではないでしょうか。
そういうことは止めて欲しいと心から思います。
そうした行為も職員さん達を疲弊させ、業務の停滞に拍車をかけることになるからです。
自治体内で強大な権力を持つ首長や議員の言動にパワハラの概念が入ること、そして職員側もパワハラには黙っていないことは、良い流れだと思っています。
選挙を勝ち抜いてきた彼らは、職員に対しては当然ながら非常にエラい。
職員も当然そのように接します。
しかしながら、1人の人間としての一線は立場の違いはあるにせよ、厳然として存在します。
自分は選挙で市民に選ばれた→自分はエラいのだ→だから職員に対しては配慮を欠いた?言動ををしても許される。
息をするかのように当たり前のように、特段考えることまなく、そうした言動になっている事も多いのでしょう。
しかし、それは違うと私は思うのです。
何故ならば首長や議員にとって、彼らが発する言葉は彼らの最大の商売道具だと思うからです。
だからこそ自身の発する言葉や行動に対しては、敏感であって欲しいし、それらを正しく取り扱って欲しいと思います。
今年の春先に、兵庫県知事のパワハラや立場を逸脱した行為を告発、公益通報した元県民局長が定年退職を無しにされ、懲戒処分を受けたという報道を目にしました。
第一印象は?ばかりでした。
職員として、何故そこまでして知事を告発したのか。
間も無く定年の方だし、一線を退けば特別職に抜擢されるなど以外の職員は、現役時代の嫌な事は水に流して終了なわけです。
もはや役所内政治からいち抜けなわけです。
しかし7月に事は急展開します。
パワハラを告発した元県民局長が自ら命を断たれたからです。
それ以後、知事や県当局の公益通報の取り扱い、元県民局長に対する弾圧ともいえる仕打ち、その他の職員達に対するパワハラの数々など、様々な事実が明るみになり、議会に百条委員会が設置、現在に至っています。
元県民局長がお亡くなりにならなければ、話はここまで明らかにならず、揉み消された可能性はあります。
また県議会が知事に対して圧倒的与党(ある一党)だったりしても、議会は知事を庇い元県民局長の告白は無きものにされたかもしれません。
多くの自治体で似たようなことが多かれ少なかれあり得ることだと私は思います。
程度の差もありますが。
それらを解決するには内部告発などという手段は取らず、自分が退職するか首長が変わるか…
ひたすら耐え状況が変わる時を待つのが、私含めた殆どの職員の身の処し方だと思います。
基幹部門に経験長く県民局長という要職にあった方が、そこまでして内部告白したというのは、何か相当な理由があったのでしょう。
そもそも今の時代の職員は、昔と違って泣き寝入りしないし黙ってもいないのです。
しかしながら、当局側や首長は、職員の意識が変化していることや、ハラスメントに対して危機感をあまり感じていないんじゃないかとも思う時があるのです。
職員は定年まで長く勤めたいから、多少理不尽な目にあっても、黙って耐えてくれる、穏便に対処してくれるだろうと。
でもですよ…
私達地方公務員を取り巻く環境はこれまでになく厳しいのです。
そして今後さらに厳しくなっていくでしょう。
職員数がギリギリまで減らされているなかで、時代の流れと市民ニーズの多様化に伴い、業務量は激増。
災害対応などはその最たるものです。
我々職員側に、首長や議員等からの理不尽な要求や言動に、耐え受け流す余地は全く無いのです。
だから、首長が変わるとか自分が退職とか、周囲の状況を待つよりは、首長や議員の言動が一線を超えたならば、物申す職員が増えてきたように思います。
ハラスメントの概念が浸透してきたこともありますが、それは本来あるべき姿なのだと思います。
私達地方公務員の任命権者は時の首長ではあります。
しかしながら真に仕えるべき相手は市民です。
首長の任期は一期4年であり時々変わります。
永遠に続く首長は居ないのです。
しかし我々職員の仕事は首長がいくら交代しても、市民に変わらぬサービスを永続的かつ安定的に提供していかなければなりません。
首長や議員のパワハラやその他の役所の動きに対する違和感を感じたら、その感覚を無視しない。
自分がされても仲間がされているのを見ても無視しない。
実際に告発したり声をあげることは難しいと思います。
声には出せない話せないかもしれないけど、自分のなかの違和感は無視してはいけないと思うのです。
自分内部でこれまでの経験から醸成された本能が感じる違和感は大体正しいです。
個人が組織を変えるなんてことは無理だし、そんな大きなことじゃなくていいのです。
相談や口にできなくても一人一人が違和感を無視しないことが大事なんじゃないかと思うのです。
それが積み重なり何かが変化して行くのだと思います。
違和感を感じる感覚を保つには、知らないことが沢山あることを認識し、常に何かを知ろうとすること。
自分の組織の常識と思われていることは、世間的におかしくないか?と時々立ち止まってみることが必要ではないかと思うのです。
仕事も人間関係も役所内部ばかりでは間違いなく何かが麻痺します。
最近は変化してきましたが、自治体職員の多くは基本的に20代から定年まで30年以上勤務します。
同じ役所に長く勤務するということは、何かを我慢し自分自身をその組織に合わせて、変容させている部分が必ずあります。
我慢が過ぎると、何が正しく何が間違っているかですら分からなくなるし、おかしいと感じたる事にすら麻痺してしまうと思うのです。
別に何か知ろうとしたり勉強なんてしなくても昇給していくし無駄無駄…と考える人が殆どでしょう。
私自身がそうでしたから。
しかし、私自身が役所に地方公務員として長く勤務して、当たり前と信じて疑わない事が、一歩外に出れば当たり前でない事が沢山ありました。
一つは市民の方々と多く話し合い共に仕事を進める部署を経験したこと。
もう一つは、数年前から英語を学び始め、先生方や受講仲間と接したことで、英語以上に視野が一気に広がったと実感しています。
汚職事件やパワハラ事件として、今回のように大きく報道されれば、自分の勤務先の役所はもちろん全国で働く公務員に対して、大きく市民の信頼を損ねます。
だから公務員は使えないのだなど、一括りにして言われてしまいます。
市民と役所に信頼関係があるからこそ、税金を納めていただけるし、様々な事業展開にご協力を頂けるのだと思います。
同じ役所に長く勤務すればするほど、世間の一般とはズレて来ることが多くなることを自覚する、自ら知ろうとする、そして学び自分の頭で考えるしかありません。
そうした人が役所に増えれば少しずつ良く変化していくのではないかと思うのです。
また今回の件で知事のパワハラ行為が大きく取り上げられていますが、公益通報制度のあり方や通報者保護についての問題点が、真剣に議論されて制度が生きるものとなって欲しいと心から思います。
私自身も公益通報制度について調べようと思います。