時点
「確からしさ」みたいなものが無くなって、それは自身のことであったり周りの状況についてであったりするのですが、偽の穏やかさに満たされているような気がする
物事の理解が遅れてしまって的確な言葉や表情を当てることができないだけ、他人の言葉に怒ることが無くなったのだって引きこもりを経験したことによる他人に対して寛容さ、みたいな格好の良いものを獲得したからとかではなくただ後遺症として今現在は感情の振れ幅がとてつもなく小さくなっているから、要は何も感じなくなっているからってだけであって重ねて申し上げると僕は経験から期待されるようなものに基づいて意識的に行動をしているわけではないのだ
広大な人工物に囲まれたとても静かな場所に取り込まれてしまったような感覚
だから何処までも穏やかに見えるだろうし、不気味なまでに無表情で気持ち悪くも感じられるのだろうと思う
分かっていても治せない治らない、ほんとしょうもない
日々に頼りもいない、貢献も出来ない
これからの時間が解決してくれるのだろうか、できるのか
黙々と流されるがままの毎日に私の在り場所を