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千葉市美術館「没後200年 亜欧堂田善 江戸の洋風画家・創造の軌跡」感想

千葉市美術館で開催されている「没後200年 亜欧堂田善 江戸の洋風画家・創造の軌跡」を観てきました。会期終了してしまいましたが、感想をまとめてみたいと思います。

江戸時代後期に活躍した洋風画家、亜欧堂田善(あおうどうでんぜん・1748〜1822)は、現在の福島県須賀川市に生まれ、47歳の時に白河藩主松平定信の命を受け、腐食銅版画技法を習得した遅咲きの画人です。
主君の庇護のもとで試行錯誤を重ねた田善は、ついに当時最高峰の技術を身につけ、日本初の銅版画による解剖図『医範提鋼内象銅版図』や、幕府が初めて公刊した世界地図『新訂万国全図』など、大きな仕事を次々に手掛けていきます。
一方で、西洋版画の図様を両国の花火に取り入れた《二州橋夏夜図》や、深い静寂と抒情を湛える《品川月夜図》など最先端の西洋画法と斬新な視点による江戸名所シリーズや、《浅間山図屏風》(重要文化財)に代表される肉筆の油彩画にも意欲的に取り組み、洋風画史上に輝く傑作を多く世に送り出しました。
首都圏では実に17年ぶりの回顧展となる本展では、現在知られる銅版画約140点を網羅的に紹介するとともに、肉筆の洋風画の代表作、谷文晁・司馬江漢・鍬形蕙斎といった同時代絵師の作品、田善の参照した西洋版画や弟子の作品まで、約250点を一堂に集め、謎に包まれたその画業を改めて検証します。
※会期中大幅な展示替えを行います。

展覧会公式ホームページより

【訪問状況】    
   日時:日曜日午後
 滞在時間:14:00~16:30 ※凄まじいボリュームで若干疲れました…。
 混雑状況:割とゆったり観ることができました。
感染症対策:入口で検温、手指の消毒
 写真撮影:一部の作品のみ可

展示構成は下記の通りでした。

第一章:画業の始まり
第二章:西洋版画との出会い
第三章:新たな表現を求めて―洋風画の諸相
第四章:銅版画総覧
第五章:田善の横顔—山水と人物
第六章:田善インパクト
第七章:田善再発見

出品作品リストより

以前から司馬江漢や亜欧堂田善の洋風画、小野田直武らの秋田蘭画には興味があり、とても楽しみにしていました。ちょんまげ結ってた人達が偶然西洋絵画を目にして「自分もあんなの描いてみたい!」と思ってわずかな情報を頼りに制作に励んでいたかと思うと、人間っていいな~と思ってしまいます。特に亜欧堂田善は私の地元福島県(細かく言えば須賀川市)出身ということで、さらに関心が湧きます!

展覧会は田善が15歳の時に描いたというド迫力の絵馬からスタートしたのですが、実兄も絵がうまかったり師匠の絵も展示されていたりと、画才をはぐくむ土壌が示されていました。

実際に油彩画を見ると色調の暗さというか、発色の鈍さが感じられました。当時の技術で独自調合した油絵具の性質によるものか田善の画風なのかは判然としないのですが、独特の静けさというか、レトロな感じがあるように思いました。

◆亜欧堂田善「江戸城辺風景図」寛政年間(1789〜1801)後期〜 文化年間(1804〜18)前期頃 東京藝術大学
江戸城に続くはるかな道を大勢の人が歩いている様子が描かれており、朝の登庁風景を描いているようでした。地方出身の私は朝の新宿や丸の内を訪れるといかにも「日本の中心地!」といったオーラに気が引き締まるものを感じるのですが、田善も同じような高揚を感じていたのかなと思いました。

亜欧堂田善「江戸城辺風景図」寛政年間(1789〜1801)後期〜 文化年間(1804〜18)前期頃 東京藝術大学

◆亜欧堂田善「三囲雪景図」文化年間(1804〜18)頃 歸空庵
油彩画の中で一番気に入った作品です。縦の筆の運びで描かれた空がオーロラのようで、日本の景色なのに雄大な感じがしました。舞い落ちる粉雪の粒々感と道や人物に厚く積もった雪の真っ白さとの対比も印象的でした。

亜欧堂田善「三囲雪景図」文化年間(1804〜18)頃 歸空庵
※グッズの絵ハガキを作成

油彩画を目当てに訪れたのですが、むしろ銅版画に強烈なインパクトがありました。絵葉書くらいのサイズの作品でも線の強弱、疎密で量感や物質の表面の光沢が繊細に表現されていて、技術力の高さに衝撃を受けました。空の感じや影の伸び方によって時間帯まで連想される作品で、観察眼も光ると思いました。

◆亜欧堂田善「品川月夜図」文化元〜6年(1804〜09)頃 神戸市立博物館
すらっとした女性のシルエットと冴え冴えとした月夜の光景が繊細に表現されていて、とても魅力的な作品でした。女性が9頭身ありそうなスタイルなのですが、江戸時代の美的基準で理想的だったのか気になります。

亜欧堂田善「品川月夜図」文化元〜6年(1804〜09)頃 神戸市立博物館
※グッズの絵ハガキを作成

◆亜欧堂田善「大日本金龍山之図」文化年間(1804~18)頃 須賀川市立博物館
田善の作品は大型化しても間延びしない(むしろ小型の作品は私の目が追い付かない、田善は60代でどうやってこの細かい作業をしたのだろうと…)ところに凄みがありました。参詣の人々がぎっしり描き込まれているのですが、一切手を抜いたところがない渾身の一作のように感じました。

◆亜欧堂田善「ゼルマニヤ廓中之図」文化6年(1809)正月 神戸市立博物館
複数の視点から見た建築物を1画面に破綻なくまとめているとのことですが、セザンヌの先を行く構成力だと思いました。既存の作品を参照しながら理想的な風景を描き出しているわけですが、より絵的に面白いものを作りたいという田善の探求心が伝わる作品でした。

◆亜欧堂田善(テンセン)「シハアタコ」文化年間(1804〜18)頃 須賀川市立博物館(太田貞喜コレクション)
こちらは江戸の町を未来都市のように描くアイデアが斬新でした。遠近法を突き詰めたかったのかもしれませんが、床が動きそう、建物が宙に浮いてそう、といったエンターテイメント性に溢れた作品でした。この作品は「テンセン」名義で真贋が定かでないとのことですが、いずれにしても作者の技量と発想は只者でないと思いました。

主君である松平定信の命によって制作した世界地図、医学書の挿絵も展示されていました。毛細血管まで表現された人体図であったり球体を平面に描き起こした地図であったりと、田善の科学的な知識の吸収力も感じられる作品でした。50歳を過ぎてから上京し様々な物事に興味を持って取り組んだ田善の生き方はとても眩しいものがあります。

亜欧堂田善・新井令恭(画)、宇田川玄真(著)「医範提綱内像銅版図」文化5年(1808)3月跋 個人蔵 ※部分

晩年は須賀川に戻って絵を描いていたそうで、その頃の作品も展示されていました。この時期になると油彩画、銅版画は制作されておらず、「田善にとって油彩画、銅版画は江戸でのお仕事だったのかな~」と若干寂しくなるものもありました(画材の調達が困難であったり、地方で油彩画や銅版画に需要があったかということも影響したとは思いますが)。ただ田善の弟子の銅版画作品などを見ると田善の技は次代に受け継がれており、須賀川の地に先取の精神を根付かせた晩年だったんだなと感じました。

創意工夫を凝らした作品と濃密な後半生を送った田善の生涯をじっくり味わえる展覧会でした。帰省の際は須賀川市立博物館にも行ってみたいと思います!

なお開催概要は下記の通りでした。

【概要】  
  会期:2023年1月13日(金)~2月26日(日)
 休館日:1月30日(月)、2月6日(月)
開場時間:10:00~18:00(金・土曜日は20:00まで)
     ※入場受付は閉館の30分前まで
  料金:一般1,200円、大学生700円、小・中学生、高校生無料
     ※障害者手帳をお持ちの方とその介護者1名は無料
     ※西武・そごうのミレニアムカードを持っていると
      2割引きになりました。

展覧会公式ホームページより


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