蚊取り線香と祖父母のこと

蚊取り線香の匂いは、祖父母を思い出す。

社会人になるまで、長期休みのたびに毎回帰省していた。
両親が同じ高校に通っていたこともあり、祖父母同士、車で10分くらいの距離に住んでいた。

実家は関西のそこそこ大きい都市のマンションだったので、庭があって裏には山がそびえている田舎の一軒家の祖父母宅での生活は、幼い自分にとっては非日常だった。

その頃の自分にとっては、夏休みのような長期休みといえば祖父母に会えるイベントという認識で、それがとても楽しみだった。
プールや海に連れて行ってもらったし、薪をくべて風呂焚きもさせてもらった。
蚊取り線香も祖父母宅でしか見たことがなく、どうして煙で蚊が寄って来なくなるのか不思議だった。
煙は癖になる匂いだったので近づいて嗅いでいたら、ヤニが付くから離れなさいと叱られた。
夜はクーラーをつけて寝るので蚊取り線香の代わりに蚊帳を吊って寝ていた。
「蚊帳」を「かや」と読むなんて小学校では習わなかったし、ホタルの幼虫はカワニナという貝を主に食べることを知っていたのはクラスで自分だけだった。

冬は冬で楽しかった。
祖父母宅で初めてこたつに出会ったし、裏山の掃除をしたときは落ち葉を集めて焼き芋をした。
どれも鮮明に思い出せる記憶だ。

そんな祖父母大好きっ子ちゃんな自分だったが、社会人になって学生時代ほど長期休みを取ることもなくなり帰省する機会も減った。
自分の成長に合わせて祖父母も年を取り、母方の祖父は3年前に亡くなり、祖母も弱ってしまい今は施設で生活している。
2年前のお盆に帰省したときに会いに行ったが、すっかり瘦せ細っており、とてもショックだった。
毎日ベッドの上で過ごすだけの日々で、たまに手の運動がてら簡単な絵を描いたりしている。
祖母は切り絵がとても上手だったので、なまじそれを知っているだけに、その作業が陳腐なお遊戯に感じられて仕方なかった。
せっかく一生懸命やっているのに陳腐だなんて思ってしまう自分も嫌だし、いずれ自分もこうなるのかと考えるととてもつらい。

父方の祖父母は元気ではあるが、祖父は耳が悪くなった。
親戚一同集まっての会食のとき、昔は大きな声で話してくれていたのに今ではすっかり黙っていることが多くなった。
こちらの会話についていけず、気を遣っているのが分かってつらい。

帰省する機会も減ったのでせめて手紙を書くねと言いつつ、なかなか筆が進んでいない。
年に3,4通くらいの激遅ペースだ。

そんなある日の深夜、家の近くのファミリーマートにほろ酔いで買い物に出かけた。
灯りに誘い込まれる蛾のようにふらふらと自動ドアの前まで来た。
その途端、懐かしい匂いが鼻を突き、急に昔の思い出がぶわーっと蘇って思わず立ち止まってしまった。
下過ぎて気づかなかったのだが、匂いの正体はが入口に置かれた蚊取り線香だった。

匂いと記憶は紐づいているとよく言うが、自分の場合、スイッチは蚊取り線香でリンク先は夏の祖父母宅だった。
酔っていて、感受性がいつもより高くなっていたのもあるのだろう。
マスクをしていたので煙が鼻に直接入ったわけでもないのに、奥がツンとなってしまった。
手紙を書く書くと言いつつ全く腰をあげない自分に、はよ書かんかいと祖父が言っているのかもしれない。

特に大きな近況もないが、とりあえず手を動かそう。
友人に送るような右手で5秒で打つLINEとは違い、たまには推敲したものを届けよう。

懐かしがてら蚊取り線香を衝動買いしそうになったが、それはやめた。
毎日スイッチを押してたらすぐに馬鹿になって、思い出が薄れそうだったからだ。
それに部屋の壁や服に匂いがついたら困るし。

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