藻琴原野 第六話 野生
足を下ろしてゆき次第に登山口が近づくと、人の声がする。
午後の陽光射すトドマツに囲まれた銀嶺水の砂利の駐車場の広場でクミちゃんのお母さんは待っていた。 いつものかわいらしい帽子をかぶっているから一目でわかる。
幾分、年輩の70を越えるであろう老夫とクミちゃんのお母さんがずいぶんと灰色に朽ちてきた木のベンチに腰を掛けて楽しそうにお話をしていたようだった。
「やあ、クミコ、おかえりなさい!」
クミちゃんのお母さんもクミちゃんと同じく、いや、クミちゃんがお母さんに似たのであろう、明るく屈託のない笑顔で立ち上がって出迎えてくれた。
「この方、紹介するわ、天原さんって云う斜里町から来た人なのよ。クミたちが 降りてくるほんの少し前に下山してきたのよ」
「こんにちはー」
クミちゃんとぼくはちょうど重なるような挨拶になってしまった。 その老人は、健康そうに陽にやけた顔に今までの人知れぬ幾重もの苦労のしわを たずさえて、ホエッホエッと優しい眼差しで笑った。 ベンチの横にはその方が今日の登山の杖代わりにしたのであろうストックが一本たてかかっていた。
「お母さんね、ぶらぶらとしながら鳥の声を聞いていたの、そうしたら天原さんが下りてきてね、ここから林道をあの道道まで5kmも歩いて帰るって云うから、 それならもう少し待っていて下さい。子どもたちが今に下りてきますから、ご一 緒にって強引に誘って云ったのよ」
「すまないねえ」
天原さんは申し訳なさそうに丁寧に会釈をした。 クミちゃんとぼくは先ほど拾った手帳のこともあったから、少しだけ気持ちに時間が欲しくなり、話好きなクミちゃんのお母さんたちのいるベンチの横から少しの階段を下りた。 こんこんと湧き出す水口の下に置いてある「GODO20」というシールがふやけてはがれかかった、おそらく一杯焼酎の空き瓶であろうその瓶で、ごくごくと 喉を鳴らしてその銀嶺水の滴たちの塊を飲み干した。 クミちゃんは冷たいね、冷たいねと云いながら手をつけては浸して遊んでいる。
もう一杯喉を潤してから、訳ありなぼくたちは小さな声でひそひそと会話した。
「クミちゃん、あの手帳、あの人のものだよね、きっとさ」
「私もそう思うな、返してあげましょうよ、ね?」
「うん、そうだね」
「でも、石の祠のことは訊けないよね、だって中を読んだことがバレちゃうから」
「ああ、そうか、そうだよね」
クミちゃんは気遣いのうまい機転の利く子だ。 ぼくたちは、その水場で少ししゃがんでいた姿勢だったせいか、太股と膝が筋肉痛みたいにじーんとなって少しヨレヨレとしたが、クミちゃんはもういなかった。
「はい、これ、おじさんのものでしょ?」
階段を駆け上がったクミちゃんが元気良く両手でその手帳を天原さんの前に差し出していた。
「あれまあ、どうして?落としちまっていたのかい?」
「途中に落ちていたんです」
ぼくはやや取りつくろうように側から補足した。 「ふぇ、ありがとう。大切な手帳なのだよ、私にとって、本当にありがとう」
本当に心から一人の老人の大切な唯一の人生がつまったもののようだった。
クミちゃんのお母さんは車の窓を閉め切って停めていたのか、乗り込むとムンとしたサウナのような熱気が襲ってきたが、ギーッギュルギュルンとエンジンを かけ、窓を開けてゴトゴトと林道をゆっくり走り出すと、心地よい風が登山後の気持ちをひたひたとぼくを満心させていった。 クミちゃんに何事の事故もケガもなく良かったなあ、と内心ホッとした。
「天原さんね、私に藻琴山のいろんなことを教えてくれたのよ、特に昔の名前なんかが、とってもおもしろかったわ」
カーブが車の前に現れるたびにハンドルを軽快に回しながら、クミちゃんのお母さんは後部座席に座るぼくたちを振り返って愛想良く云った。 天原さんは何となく照れくさそうに助手席にちょこねんと小さく座っている。
「すまないねえ」
まだ天原さんはその小さな体全体で恐縮しているようだ。 ゴツンガツンと走る車の底に石が当たる賑やかな音たちがぼくたちのお尻を驚かせながら、クミちゃんのお母さんは天原さんから聞いたことを一字一句間違えな いように、まるで先生の前で回答する生徒のように自信と不安が入り交じったような、でも自信がそれを後押しするような口調で嬉しそうに教えてくれた。
昔まだ藻琴山という名がない頃、釧路アイヌからは「トエトクシペ”湖の・奥 に・いる・者(山、神様)”」、網走浦士別アイヌからは「ウライウシヌプリ= 浦士別(川)の山」、女満別アイヌからは「メムヤンベツヌプリ(清水が湧いている泉の先の山)」、などとそれぞれの生活の場から呼ばれていたらしい。
これだけでも十分、いかに藻琴山が道東の各方面から望められ、往年に暮らしていた人たちが身近な川や湖と藻琴山が仲良く一緒に慕われていたかがわかった ような気がした。 助手席の天原さんが、忘れとったわいと想い出したかのように付け加えた。
「そうそう、さらに美幌町古梅アイヌからは「ツクショッペヌプリ(アメマスの多くいる川の先にある山)とも呼ばれていたらしい、うんうん、、、」
ちょっとぼくたちとの空気に気持ちも和らいだのか、ちょうどその地点を過ぎたからなのか、天原さんは続けて言葉を柔らかく発しだした。 クミちゃんのお母さんが合いの手を入れて、天原さんの話をうながしてくれた。
「おうおう、この見上げ岩、懐かしいなあ。。。昔はよくここにも高山植物が咲き乱れていたんだが。。。今はどうかねえ、、、」
「この林道を歩くと野鳥たちがたくさん出迎えてくれたよ。この山は昔から野鳥 の宝庫だよ、私が数えただけで53種類くらいもいたからね。特にウグイスが多いんじゃよ。口の悪い私の山仲間なんかは藻琴山のことをウグイス山だなんて冷やかして云っていたねえ。 あれはいつだっか、7月頃だったかな、昭和の確か50年過ぎだな、うん、ギンザンマシコという珍しい高山で繁殖する野鳥を私の友人が初めて大雪山でその繁殖を確認したときだったから、その頃にこの藻琴山でそのギンザンマシコという鳥の群を見たことがあったよ、あれはちょうど移動の途中だったのかねえ、きっとこの山に寄ったんだろうねえ、特別天然記念物になっているクマゲラも、ほら、こっちの沢一帯にはいつもいたもんだよ、真っ黒で大きくてね、出会ってはいつもあいつらとビックリしてもんだなあ、、、」
そこで、林道は過去の国設スキー場とぶつかる6合目で大きく右にカーブした。
天原さんは助手席に持ち込んだ愛用らしきストックの柄を撫でながら昔を懐かしんでいるような雰囲気になったので、ぼくたちは少し口にチャックをした。 本当はクミちゃんが今日の山の出来事をお母さんに話したくてうずうずしているのは隣のぼくにもそわそわとしている姿から伝わってきた。 もしかしたら、またトイレなのかなとチラッと心配もしたが、黙っていた。
やがて林道も終わりに近づき、優しく草の輝く牧草地が樹林の間から望める頃、 車は停まる。 ここに牧場の柵のようなゲートがあり、一度車を降りて柵の扉を開け、再び車を進めてから、閉めなければならない。
「あれまあ、こんな柵はいつできたものかねえ」 天原さんはここ最近の4~5年、この藻琴山のこの林道に来ていないようだ。
「これはエゾシカの侵入防止フェンスですよ。津別町、美幌町からこの東藻琴、そして小清水町、清里町までずっとこの柵はあるんですよ。農作物の被害対策で すね、冬にはエゾシカたちは釧路側、阿寒方面で越冬をするから、もうこちらのオホーツクの網走側にはほとんど来られなくなったんですよ」
ぼくは、たまたま仕事柄、知っていたことをごく簡単に説明をした。
「エゾシカたちはもう、ずっと本能や教わり培ってきた四季ごとに生きてゆく大切な場所へ往き来ができないんだねえ」
身の丈以上もある頑丈なネットと杭が林道の両脇の森林まで続いていることを眺めた後に天原さんがそうつぶやいた瞬間、ぼくの心は何かが弾けたようにあの春早い固雪の上を豊かな体格で懸命に釧路側からこの山の峠をはるばる越えてやってきたという滝本からそのことを教わったヤイトメチャチャ氏のことが強烈的にダブって想え、エゾシカたちの姿と重なったのだった。