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自然ガイドを考える
時折、目的地達成型ではない自分のガイドに自信をなくしている…
お客様は楽しいのだろうか、調子に乗ってはいないか、自己満足で終わってはいないだろうか…
もっとうまくなりたいと思う。
慣れとうまいは違うのである。
だから、自身が楽しくなくなって苦しいのだ。
北海道にいた頃、ガイド協会の大先輩から、10人いたら3人のお客様に言葉が伝わっていたら十分、一生懸命にならなくとも良しと言われた。
ぼくの一生懸命な言動から肩の力を抜きなさいというアドバイスだったのかも知れない。
阿寒摩周国立公園の藻琴山(もことやま)で大手旅行会社専属ガイドをしている時に、あるお客様から
「あなたが藻琴山を好きなことはよくわかった」
と、決してそれは褒め言葉ではないご感想もいただいた。一方通行だったのだろう。
自然ガイドは、場の提供と行動変容に尽きると思う。
場の提供とは、そこの自然を舞台にした解説や翻訳者であり、行動変容とはその時間を過ごした後のお客様の生活の意識変化である。
ガイドを毎回していると話のマンネリ化が生じるから常に勉強と下見は続けないとならない。
そうであっても、自然は移ろい、四季の素材は変化するので、いつもフィールドには助けられる。
自然の中での出会いに同じことは二度とない。
何よりも不特定多数のお客様の(安全を第一に)ニーズが毎回異なるので、それらはやりすごせるのだと思う。
その興味関心(好奇心ともいうべきか)と言ったニーズをどう引き出すか、そこに応えられるか、そこが一番肝心だ。
限られた時間の中でガイドにも起承転結がある。
そして、毎回の観察会にはテーマがあって、四季毎回それぞれの伝えたいテッパンネタもある。
知識の披露や、おしつけにはなっていないか?
感触や匂い、音や声など五感を大切にするガイドがしたい。光を見たい。
発見と感動をお客様と共有したい。
10人いたら10人の興味と発見がある。
それぞれの感じ方が違っていていい。
お客様たち同士で仲良くおしゃべりしていたっていい。
「今日ここに来て、楽しいひとときが過ごせた」
「これからは身近な自然を楽しみたい」
「家族や友だちに自慢したいな」
「また、来たいな」
限られた時間の中で、そのお手伝いをする、それが自然ガイドの務めなのだろう。
忘れてはならない、お客様が主役なのだ。
自然ガイドとは「エンターテイナー・芸人」だとも北海道アウトドアガイド資格試験で教わったことがある。
それになりきれないから、苦しいのだろうか…
ときには、特に野鳥、自然とお客様だけを繋ぐため、臨機応変、黒子になる徹する場合もある。
間が大切だ。
自分はそこが好き、だからこそ伝えたい!というモチベーションが下がっているのかな…
いや、そもそもそれだけでは成長が見られない。
専門分野がない、詳しくない、などといつまでも言っていては、一生、成長がないのだ。
仲間との活動や信頼関係、意見などは最も大切であることは言うまでもない。
それを同業者評価と呼ぶ。
お山の大将ではいけない。
こうして答えのないことをグルグルと頭で考えるから、ぼくはいつまでも、うまくならないのだろうな。
慣れではなくて、うまくなりたい。
まだまだ理想のガイド像に向けてゆっくりと、そして猫のように気まぐれに修行中です。
むずかしいことをやさしく
やさしいことをふかく
ふかいことをおもしろく
おもしろいことをまじめに
まじめなことをゆかいに
そして ゆかいなことは
あくまでゆかいに
(井上ひさし)
なんだかんだ言っても結局は、お客様が感じて、判断していただくものですけれどね。
カバー写真は、ダーウィンが来たページよりお借りしました。