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【笑ってよオンネ⑦】アタックの朝
おい4時だ、起床時間だ!-と、会長の声
まだ2:00である。みなはまだ当然寝ている。ぼくも隣のテントで寝たフリを決める。
朝4時半、のそのそとみなで4~5人用テントに再び6人が揃い、暖をとりながら朝食準備をする。
リーダーのつくる「お雑煮」は、いつもながら絶品である。そして手際よい。
リーダーはホントウにマメで計画書の出来から装備の工夫まで熱心で、穏やかな人である。
何でも山が好きだったのではなく、スキーをしたいからと山を始めた特異な経歴を持っているらしい。
N氏は、熱がでてきたためテントキーパーとしてBCに残ることになった。
N氏は古いフレーム式のザックなど往年の装備で、いつもにこやかにしてくれている。
初めて一緒の山行をした冬季斜里岳の際に、とても感心させていただいた記憶がある。
そして、いつも海の幸をごちそうしてくれるのだ。
S口氏は、最初から今日はここから下山することに決めていたらしい。
S口氏は、ぼくに「これが利くんだ」と黄色い錠剤・アリナミンを手にとってくれた。
「普通のヤツより上のヤツだからな。肉体疲労時の乳酸を和らげるんだ」と言ってくれた。
S口氏は過去の斜里岳、知床山系の地理に詳しく、その踏査記録もスゴイ人である。
またどこでも寝られる愛車で、週末はきちんと必ず何らかの多趣味な行動をしている。
口数は少ないけれど、とても面倒見の良い人だとぼくは思う。
ガスカートリッジの取り扱いに自分の不注意から瞬間「炎上」させてしまい、火傷・・・
両手指7本に傷を負ってしまった・・・(集中力の欠如としか言いようがない)
4人で出発-6:30
会長、熱気味のK氏、リーダー、ぼくの4人でヘッドランプをつけて出発する。
会長とK氏は今日下山するため偵察のみ行い、BC組2人と一緒に下山するとのこと。
そんなに朝の冷え込みはなかった。携帯温度計で-7度。
外に立てて置いてあったスキーなどもシバれていない。
大きな月がエゾマツ林の上にポッカリと西の空に浮かんでいる。
今日も快晴無風状態である。
会長は、リーダーとぼくに「今日はピークまで行けるゾ!」と励ますように言ってくれた。
そしてぐんぐんとトップをきって向かっていった。
会長が一番このオンネへの想いが強い。
冷静に考えると怖いときがあるくらい執着しているような気がする。
それでもその気迫は、常に今は山を離れてる会員の方たちを想ってのことなのかも知れない。
きっと今まで会に交流ある往年の人たちはみな会長の心の中で生きているのだろう。
温かい人である。
BC上の緩斜面の広い樹林帯の中を進んでいく。
K氏のことで一番印象に残っているのは冬季利尻岳や冬季芦別岳よりも、風邪で参加できないと言っていた過去の正月山行時に、当時札幌から車で夜に走ってきて、ゲートからそのままぼくたちのBC(知床峠)まで夜のうちに3時間かけて登ってきたことである。
(そのときもガショー!ガショー!と元気が良かった)
毎年の正月山行(網走)へ来ることを「自分にとってのメッカの巡礼」だと比喩している。
スゴイ人である。
669m岩峰の右斜面をトラバース(横断)するようにスキーを進めていくと、だんだんと陽が昇ってきて、右に知西別岳、そしてめざすオンネが遠く望まれた。
陽に照らされ、暗いオンネ東壁が上から順にピンク色に染まっていくモルゲンロート(朝焼け)を、絶好な地点で撮影できずに残念。
地図上の500~570mのコンタ(等高線)を辿っていく。
ぼくは、その朝の火傷から手指に力を入れられず、最後尾を離れてトボトボと情けなく歩いていた。
スキー(シール)の調子も悪く、スキーアイゼンを装着して、ごまかしながら3人についていっていた。