「信仰」と「洗脳」の日常で…
私たちは、常に何かに「縋って」生きている。何かに寄りかかりながら、それを心に持ちながらでないと生きていくのが怖すぎて、荒波に飲まれてしまう。
「信じる」ことの”恐ろしさ”と”危うさ”を伝えてくれた作品である。
1.紹介する書籍
・村田沙耶香『変半身』(ちくま文庫)
★キーワード
伝統・文化
信仰
変化
★こんな人にオススメ!
人の意見に流されやすい人
言われるがままに行動している人
頑固だと感じたことがある人
自分の意見が正しいと思ったことがある人
2.この本の深い魅力
①信仰
私たちは、日々何かを考えながら生きている。時に考えたり、時に疑問が生じたりすることがよくある。不満を持ったりすることもある。
その時に、決断を下すとき「何が」決めてになっているだろうか。
そう。それは、何かを「信じている」ことなのだ。信じることによってなんらかの決断を下したり、一つの意見ができたりする。
「信じた」ことがもし間違っていたら?
そう考えたことはあるか?それを考えさせてくれるのがこの本の魅力だ。
情報がありふれた社会。何が正しくて、何が間違っているのかもわからない。でも、何かを信じながらでなければ生きていけないのだ。
一度、頭を冷やして考えてみる。
その瞬間だけ、リセットされる。この時間が大切だ。と気づかせてくれるだろう。
<ポイント>
・1日の終わりにでも、1度頭を冷やして(冷静に)考える。
②私たちは「入れ物」?
情報過多と謳われる時代。
何を信じていいかわからないのに、情報は無限にある。どの情報も自分の中に取り込まれていく。その”危うさ”を伝えてくれている文章である。
・私たちは、「入れ物」だけの役割だろうか?
私たちは、「入れ物」でもあるが、それと同時にその情報を活用していかなければならない。
「入れ物」=「クラウド」
「人間」=「入れ物」×「活用する力」
となるはずだ。知能ある人間だからこそ、何かを「信じる」ことができる。「意志」をもつことができる。
だからこそ、私たちは、「入れ物」になりつつ、それのどれを選択するかを考えながら生きていかなければならないと伝えてくれている本である。
3.あらすじ
陸、花蓮、高城の3人の登場人物が孤島で「モドリ」という祭りに参加しなければならないという掟があることで話し合うところから物語は始まる。「モドリ」に参加することが絶対なのだと考えていたが、その常識が覆されることで3人は何を感じるのだろうか。もし、自分が今、信じているものが、”正しくない”ことだったとき、私たちは何を考えるのだろうか。「信じること」の危うさを村田ワールド全開で描いた物語。
4.本書を読んで伝えたいこと
・「当たり前」は信仰の始まり
「それが普通でしょ」「そんなの当たり前じゃん」という言葉をよく耳にするが、その時点でその人は、「考える」ことを放棄していると言ってもいいのではないかと感じられる作品だ。
周囲が、当たり前と思うことを自分自身までそのまま受け入れていいのだろうか?自分が違うと思うことや違和感のあることについては、「入れ物」になるのではなく、調べてみることが大切なのではないか。
「この世の中に、絶対はない。」
誰かが昔から口にしていることだ。これすらも本当かどうかわからないが、真理に近いことはあっても、確実なことはないだろう。
だからこそ、私たちは常に考え、「問いかけ」をしながら生きていかなければならないのだ。
・「当たり前」を疑う視点
知ることは、何かを信じ込むことなのだ。
生きていく上で、なかなか全てを疑うことは難しい。しかし、時には自分が違和感を抱いたこと、疑問に思ったこと、「当たり前」とされていることに疑いの目をもつことが必要なのだと訴えかけてくれている。
正しいか、正しくないかではない。
その疑いの目をもつことで、”自分自身を新たな次元へ導いてくれる”
<ポイント>
周囲から入ってくる情報は数多くあるが、それを取捨選択していくものこそ、人間と呼べる。
5.おわりに
『変半身』は、「信じること」の危うさを叫んでいた作品であったように感じる。
「親が言うことが絶対だ。先生がいうことが絶対だ。年上の人がいうことが絶対だ。」
そう考えて生きていくと、何も考えないで生きていくことになってしまう。時に、
「それって本当なのか?」と怪しんで見ることが、大切なのだということを学べる本だった。
どうか、この本が世の中の一人でも多くの人に届きますように。
おっきい。