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【PLANET TOKYO】ボーダーの消えた世界で化学反応を求めて
まずは先日のPLANET TOKYO vol.2や新作を聞いてくれた人に謝辞を述べたい。PTで作品を作り初めてのイベントだったわけだが、とりあえず一区切りしたなという実感がある。今回はコレクティブが一体となって作品を作る際に思った純粋な気持ちと興奮と不安でごった返ったこの脳内をエッセイ的にまとめて行こうと思う。
ボーダーの消えた世界で化学反応を求めて
okkaaa
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僕らはなんとかこのいちばん危ない時期を乗り越えなければいけない。しかしいずれにせよ後戻りはできない。封を切ってしまった商品の交換はできない。これでやっていくしかない。でも僕らが僕らであったことは決して無駄ではないはずだ。僕らがひとつのグループとして一体になっていたことは。
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僕らはしがないアーティストだった。いやアーティストと呼べるほどのものでもない素朴な存在だった。今となってはそれぞれがそれなりになって各々の行動で素晴らしい道を選択して、いくらかの差はあるにせよみんなそれなりに音楽をやっている。出会いもとても素朴なもので、出演者ではなく客としてたまたま遊びに行ったイベントだった。師走のCITAN。他愛もない音楽の話やお互いの将来の夢や希望に思いを膨らませながら名一杯話した。
僕らはごく普通に集まるようになっていたし、同じ意思を持って音楽をやっているというわずかな調和みたいなものを感じていた。その場で言語化はされることはなかったけれどもその考えは一致していたように感じられた。回を増していくごとに参加するメンバーはどんどん増えていき、気がつけば5~6人にはなっていた。
PLANET TOKYOを結成したのは寂れたカフェの他愛もない会話からで、「このメンバーでイベントやったりしたら面白いと思うんだよね。」程度の切り出し方だった。ただ僕は連盟のようなものはあまり好きではなかったし、それぞれが一つの方向を向くような芸術性ではないと思っている。それぞれが独特のユーモアや芸術的才能を具えていると思ったいるからだ。同じ方向をむいて進むことはナンセンスだと思っていた。そう考えてみればクルーのような集まりにはならない形態が望ましいよなと独りで考えてはいた。
ただ、僕らはお互いをよく知っていたらしい。みんな同様の意見や価値観を持っていたのだ。作品を作ることはないかもしれないけど、ただ数年後も数十年後も音楽をやっていたい。つながっている確証はないけれどみんながどこかでつながっている、そんな気がする。だから名前をつけて楽しい集まり場みたいなモノにしよう。多様的な様々な惑星のように。僕らはそうやって東京で結成した。その瞬間、自分が欠けてはならないピースとしての惑星に組み込まれているんだなと感じた。そのことは嬉しく、とても誇らしいことだった。
その後も不定期で集まり語り明かした。それぞれ、個性が特質していて語り明かすには最高に楽しかった。僕の人生的な意味合いでもここまで刺激的な人たちはいなかったし、音楽を成合としている人の独特の要素をそれぞれから感じ取ることができて話しやすかった。とはいえ各々が違うユーモア性を持っているのでいつまで経っても話は尽きない。
そしてそのメンバーが集い、初めてイベントを開くことにした。恵比寿のBATICAでPLANET TOKYO vol.1というものを開催した。結果は入場規制がかかるほどの大繁盛だった。同世代のシナジーを感じた。お互いが集まりジャンルのボーダーレスを訴え、そこから生まれる化学反応は特別なものだった。僕は欠けてはならないピースとしての惑星としての一員であることを誇らしく思ったが、同時に不安でもあった。ジャンルが違うことへの馴染めないような不安の心持ちを抱き始めていた。
ただ、どこまで行っても僕は自分のことしか信じてないし、クリエイティブは自分で決めるということは常に持っている信念だ。そしてみんなも同じくしてその心を持ち合わせていた。だから特に警鐘を鳴らす必要はないなと思ったし自分の中の折り合いの問題だと思っていたからだ。
そこから、僕らは予期せぬスピード感を持って進むことになった。vol.1の成功から作品を作る必然性が出てきてしまったし、同時にこのスピード感に期待を膨らませてる自分もいた。この調子で行けば大きな存在感を示せていけるのではないかと。
結果は予想通り、大方話題にはなった。多くのリスナーが愛聴してくれる素晴らしい1作目になったと自分でも自負している。ただ、ボーダーがない世界を求めれば求めるほどボーダーはあるということに気付いてしまった。どこかで自分の音楽性の素質を折らなければいけない瞬間がくるし、独創性については思慮に欠ける部分が存在してしまう。大きな人数や組織になればなるほど手の届く範囲が狭まってしまうのだ。枠を壊すことが本来の目的だったのが、自ら枠を作り上げていく作業が始まっていた。
自分の頭の中で自由に思いを巡らすのは大いに簡単なことだ。ただ僕らが一体になったとき、自由に思いを巡らすというのは夢の中で自由に動き回ることぐらい難しいことだった。自由意志を超越した共同体とはなんだろうか。無自覚的に自由な思弁と行動をできるようになるのは至難の技だ。僕は何度もこのことで悩んでしまった。
共同体とはなぜそこまで入り組んだものではなくてはならないのだろう?僕らの惑星は複雑な楽譜のようなものだ。意味不明な書き込みと奇妙な記号で満ちている。ただそれが一斉に音になったときまだ見ぬ美しさがそこにはある。そこには枠などなく色もないはずなのだ。不定形的で色彩を持たずそれぞれが個別に化学反応を起こしている。僕はそんな意味を込めて”無色透明”という楽曲に取り掛かったのだ。
しかしボーダーの消えた世界で化学反応を求めることはそう簡単ではなかった。裏にはジャンルという大きな文脈の胎動があり、多かれ少なかれ個人に影響をしてくるものだ。僕と同じような不安を抱えているアーティストは他にもいた。ジャンルレスのコレクティブの行方はどこかへ消えかけていると。幾ばくの葛藤を抱えながら僕らはまた語りあかす必要がある。これは僕らが立ち向かうべき大きな危ない時期だと思う。理由を告げられずに、虚無の空間へ漂うように生きていくのはもう終わりにしよう。ジャンルの消えた世界で僕らはまた交わることはできるはずだ。
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寂れたカフェの一角で僕はこの文章を書いている。ボーダーの消えた世界で化学反応を求めることは難しいことだろうか?まだ答えはない。無色透明であるにはもっと別のステージにいかなければならない。これは傲慢な考えだろうか。僕らが今抱えているいちばん危ない時期をなんとか乗り越えなければいけない。しかしいずれにせよ後戻りはできない。封を切ってしまった商品の交換はできない。これでやっていくしかない。でも僕らが僕らであったことは決して無駄ではないはずだ。僕らがひとつのグループとして一体になっていたことは。
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