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終わってみて「あぁエンタテインメントだったんだ!」と思えるものを目指す

エンタテインメントとざっくりと言うけど、いろいろあるよね。いろいろあるからおもしろいんだけど。
どれも、「あー楽しかった」と、楽しめた、楽しませてくれたなと実感できるものであってほしいといつも思っている。

さて、私もご多分に漏れず、エンタテインメント、それを楽しむ側だけでなく、楽しませる側でありたいと以前から常々思っていたわけで、そういう仕事の一端を担いたいとも思っていた。
幅広いがゆえに、あまり限定的でなく、いろいろな場面でエンタテインメントを提供できると思っている。

だから、この仕事をしようと思ったのは、それが動機なのかもしれない。
上から目線で楽しませたげるじゃなくて、一緒に楽しみませんか?おもしろいことしませんか?みたいな感じで。
おもしろがらせよう、笑わせようなどと腹黒く考えると、それはかえってつまらないものになりかねないし、なりがちである。近頃のお笑い芸人然り。お笑い芸人でなくても、渥美清さんみたいに、無意識にちょっと何かをするだけでおもしろいというのが理想だね。
おもしろそうなくらいがいい。

だからね、根っこがちがうわけ。
センセになろうとか全く思ったことはないし、センセの仕事をしていても自分がセンセになったと思ったことは、たったの一度もない。
その仕事をさせてもらっているだけ。
つまり、いわゆるセンセと一緒にされたくないですな。全然違いますよって言います。

なぜ、エンタテインメントが?というのは、やはり自分が好きだから。
楽しいこと、おもしろそうなこと、その匂いがする方へフラフラと誘われていくんだよ。それが自分だから。
その楽しさにハマると、もうとことんやらないと気が済まない。誰にも止められない。そういう性格。
だから、気をつけなきゃいけないなと大人になってからは思ったけど、やっぱり本能には逆らえない。そういうものだった。

コップの中で、あーでもないこーでもないとざわざわしているのでなく、どうしたら楽しいかな?自分もキミもおもしろがれるかな?とやっぱり無意識に考えているのかも。ほとんどそれ。
もちろん、仕事上、線引きしなきゃならない部分はあるんだけど、マニュアルだのコンプライアンスだの、ちょろっとは見るけど、それに振り回されるのはイヤだし、振り回されないように注意はしているね。ただ、安全に通行ようとは思っている。その境界線がイエローセンターラインなのか、ホワイトなのかってくらいのちがい。時には黄色い線をはみ出すこともあるかもしれないよねってこと。

楽しいこと、たくさん経験してきた人ほど、楽しいことを知っているし、楽しいってどういうことなのかも知っているんじゃないのかな?
自分はずいぶんと楽しいことにどっぷりと浸かってきたような気がするから、そういう経験から搾り出てくるエキスをバランスよくミックスできれば、いいものが作れるんじゃないかと、そんなふうに思っている。

ほら、やっぱり私は芸術家だったなぁと、こういう場面でも思うわけでね。
そういうことなんです。
以上。