ベランダにて
初投稿です♪
かなり前に書いたエッセイです。
初投稿の記念に、家族が登場する作品を選んでみました^ ^
どうぞお読み下さいませ♪
朝起きて一番先にすること。それは窓を開け、ベランダへ出ることだ。人口三万ほどの我が町は特別大きなビルも高層マンションもなく三階のベランダからは遥か南に富士山を仰ぐことも出来る。朝日はその富士のずっと東の山の稜線から姿を現す。光の線は見る見るオレンジ色の円へと変化し、稜線の上へと押し上げられてゆく。視覚として地球が回っていることを実感し、私は大きく深呼吸をし、太陽に手を合わせる。今日も良い一日でありますように…と。そして一日の終わりを過ごすのもやはりベランダである。ここは私のそして家族の人生のいろいろな変化を見守ってくれた場所でもある。 息子たちが小さかった頃、ベランダにはカラフルなTシャツやハーフパンツが万国旗がたなびく満艦飾のごとく泳いでいた。その下では、昆虫好きの長男が捕まえてきたキアゲハの幼虫やオタマジャクシが虫かごや水槽の中でモゾモゾと動いていた。最初は「ぎゃっ!」と悲鳴を上げていた私も、その成長を見守ることが徐々に楽しく愛おしくなっていった。父子で捕まえてきたカブトムシは腐葉土の中に卵を産み、翌年小さなオスのカブトムシが誕生した。親子ともども大感激した。ベランダの東側にはJR中央線が通っている。電車好きの次男は日がな一日通過する電車を楽しそうに眺めていた。そんな彼は今では立派な「鉄っちゃん」となった。ヨチヨチ歩きの三男は、小さなジョウロでプランターの花や野菜への水やりを欠かさずしていた。ジョウロの水は、プランターまでたどり着くうちには半分以下に減っていた。それでも何往復もしていた姿が、目を閉じれば可愛く鮮やかに蘇る。そして収穫できたわずかばかりのプチトマトや茄子は、彼らの心の栄養となった。春祭りで買った「ひよこ」には「ピヨ吉」と名前を付けた。(お祭りのひよこはオスだと聞いた事があったからだ)。すぐに死んでしまうであろう小さな命と、子供たちの悲しみが容易に想像できただけに買う事と、飼う事に抵抗はあったが、それも経験値となるだろうと決断して小さな命を迎えた。意に反してピヨ吉はすくすくと成長し、部屋の中の段ボールではもはや飼うことは不可能となった。ベランダ北側の隅に主人が作った木箱の小屋が住処となった。ある朝、ピヨ吉はいつもより激しく甲高い声で鳴いた。まさか野良猫か?と慌ててベランダへ出た私は目を疑った。なんと木箱の中に小さな卵を見つけたのだった。驚くことにピヨ吉はメスだったのだ。興奮冷めやらぬピヨ吉は、小屋の中を行ったり来たりしていた。恐らく本人にも何が起こったのか分からなかったのだろう。心細さと誇らしさがないまぜになった様な姿で行ったり来たりするピヨ吉がたまらなく愛おしく涙が出た。取り出した卵を何度も何度も撫でた。 それからというもの、ピヨ吉は毎日のように卵を産んだ。卵を産む前には決まって甲高い声で鳴き続けた。それを聞きつけた子供たちは、慌ててベランダへ走る。手をギューッと握りしめ、ピヨ吉を励ましていた。そのいじらしい姿を私は忘れない。生みたての卵の温かさも柔らかさも小さな手はしっかりと受け止めた。やがてピヨ吉は、五年程生き、春まだ浅い風の強い朝、小屋の中で冷たくなっていた。子どもたちにとっては初めて経験する「家族の死」であり、深い悲しみを強烈に感じた出来事となった。 その、ベランダから直線距離で五百メートルほどの所に市立病院がある。今から二十数年前、そこには実家の父が入院していた。ベランダからその灯りに向かい手を合わせていると、幼稚園の年中だった三男が不思議そうに聞いた。「お母さんは何で夜になると外に出てお祈りするの?」「イーちゃん(実家の父)の病気が治りますように・・・ってお祈りしているの」私の言葉に「なら、僕も一緒にお祈りするね」と、小さな手を合わせてくれた。今思うと、三男の身長からはベランダ壁で病院の灯りは見えなかったであろうがそれでも無心に祈ってくれた。やがて、長男、二男も加わり、お休み前のお祈りは半年ほど続いた。そして父は星になった。ほうき星が話題になった時も、年に何度かの流星群の観察も我が家のベランダは一等地の観測所となった。子どもたちは、進路の話や部活動の悩みも、ベランダで教えてくれた。主人と会社経営の難しさや見直し等をここで論じ合ったこともある。息子が彼女の存在をポロっと話したのもこのベランダだった。楽しい出来事も、悲しい出来事も、そして嬉しい出来事も、我が家のベランダは知っている。時は過ぎ、三人の息子たちも何時しか独立し、各々の場所でそれぞれの人生を生きている。帰省は年に数えるほどとなった。それでも私は、天気の良い休日には家族五人の布団を干している。帰ってきた子供たちが、いつでもゆっくり休めるように・・と。 今でも私にとってベランダで夜空を眺める時間は、何にも代え難い心安らぐひとときだ。「変えられるものを変える勇気を、変えられないものを受け入れる冷静さを・・」星空を見つめ、ニーバーの祈りを想う。月の光があんなにも優しいのは、きっと輝かせてくれるものの存在を知っているからに違いない。そしてまた人の気持ちも月のように満ちたり欠けたりの繰り返しだと気づいたりする。願わくば、何れの形の時も輝きながら日々を積み重ねていきたい私である。このベランダで…変化を恐れず、変化を楽しみながら。
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