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【感想】ルイーズ・ブルジョワ展で心を引き摺り回される

はじめに

六本木の森美術館にて開催している、「ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」へ行ってきた。

六本木ヒルズを歩いたことがある人は誰もが一度(ナニコレ?)となる、巨大な蜘蛛の作品「ママン」の作者であるルイーズ・ブルジョワの大規模個展である。

かく言う私も(ナニコレ?)という気持ちのまま足を運んだ訳だが、いざ入ってみると「ママン」の寓意やルイーズ・ブルジョワの心の深いところや人生を表現した作品たちに、随分とやられてしまった。

人によっては、(ナニコレ?)でいた方が幸福だったのかもしれないと一瞬思ってしまうかもしれない。
幼少期のトラウマや父への憎悪などが作品のベースになっている点から、軽率に鑑賞を勧められる展覧会ではないとも感じる。
その一方、どうかこの展覧会が悩める人に届くように、と思わずにはいられない。

それは人生における苦悩や絶望だけでなく、安らぎや希望も確かにあって、相反する心理を表現した作品と人生をサバイブした彼女の魂は、誰かにとっての救いになると感じたからである。

※以下展覧会のネタバレを含みます

①いきなり深部から最深部へ

展示は三部構成となっており、第一章は「私を見捨てないで」という題である。
ジャブはなくいきなりストレートといった趣向で、ルイーズの苦悩を鏡のように映す彫刻作品が並ぶ。基本的に息を吐く間はない。

首がなく乳房が6つ連なった彫刻(題:『自然研究』)など、母、女について抱かれた念や欲をむき出しにした作品たちは、私たちを秒速で彼女の晒された深部へ誘う。
正直、早すぎる。 ※画像引用元は下記記載。

ルイーズには家庭教師と不倫をしていた父がおり、彼の存在がトラウマの温床となっていたとされるが、幼少期から抱える不安感は彼女が家を出で母となり、子を持ってからも変わらずあったようで、いつの時代も苦悩を芸術に託している。
そうすることで自身と、他者と向き合ってきたのだと思う。

彼女の人生を通した魂の慟哭が溢れている会場で、作品一つひとつに立ち止まって彼女の苦しみの声に耳を傾けてしまい、息苦しさを感じる人もいるかもしれないが、それこそが彼女が体験してきたことの一端に私たちが存在している、ということではないか。
ルイーズという人の最深部に私たちは限りなく近づいているということではないか。

また、息苦しくとも、その中で彼女の力強い眼差しを見つけることができる。
絶望の中にどこか屈しない意志を感じるからこそ、私たち鑑賞者はゆっくりと歩みを進める。

②苦しみ、苦しみ、苦しみ、それから

ルイーズの苦しみを多く含む芸術は終わりがないことはない。うねりながらも少しずつ回復へ向かい、彼女がサバイバーとなっていく過程を見ることができる。

第二章「地獄からかえってきたところ」では、熟しきった彼女の父への復讐心や自傷衝動が赤や黒で止めどなく表現される。しかしそれは徐々に移り変わり、第三章「青空の修復」で丸みを帯びた作品や、青を基調とした作品が増えるのだ。


『雲と洞窟』


彼女曰く、芸術がいつしか義肢や松葉杖のように機能し、人生を生き抜く支えになったという。
彼女の人生と芸術の道のりを少しだけ並走してきた私たちにとっても、第三章の作品は癒しのような、救いのような感覚をもたらす。

自身の中にある負の感情に向き合い続け、戦い抜いた中で生まれた彼女の芸術は、荒波のように鑑賞者に激しくぶつかり、最後は凪のような静寂を与えるのだ。

鑑賞後は、ルイーズという一人の人生を共にサバイブし、夜明けの海の先に浮かぶ光のように、確かな安らぎがいつの間にか眼前に灯されていることだろう。

③五感が鑑賞者を包む-シャリマーの香水と二階堂ふみの音色-


終わりに、ルイーズが愛した香水と二階堂ふみによる音声ガイドに触れたい。

最後の鑑賞エリアでは、ルイーズが愛したシャリマーの香水の匂いを嗅ぐことができる。
彼女は「嗅覚には魂を揺さぶり、癒す効果がある」と言ったが、鑑賞者も彼女が愛した香りによって安らぐことができる。

また、二階堂ふみの音声ガイドは、柔らかくも凛とした音色で心の落ち着きと思考をサポートしてくれる。

こと展覧会においては視覚に負荷がかかることが多く、本展覧会では特に精神的負荷がかかる場面も続くため、その負担をカバーするように嗅覚と聴覚から癒しを得ることができる配慮も見事であると感じた。


実際にシャリマーの香水も販売しており、
商魂逞しいところも好き!

※画像引用先



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