友達でも恋人でもなく…(断片と枝葉②)
御多分に漏れず大学時分は自意識をこじらせていた。今になって振り返ると「こじらせていたな」と思うけど、あくまで程度の問題で今もこじらせ続けているのかもしれない。
それでも今とは違う当時に何をこじらせていたかといえば、青春期だ。
一言で表すと、ソウルメイトをほしがっていた。
「ソウルメイト」と云うと性別は問わないように聞こえかねないが、できれば女子であることが望ましかった。女子であるほうが望ましかったけど、セックスが介在するほうが望ましいとは思っていなかった。「絶対に(なにも)ない」というラブホテル前で"説得"する男性の常套句や「なくていいけど別にあったっていい」となぜか遠回しに触れる言い方は必要なく、ナチュラルに「あってもいいしなくてもいい」と思えていることがセックスを目的としていないことの裏付けになっているような気がしてたまらず、そのへんの粗野な男子たちとは一味違う自分に対して悦に入るようなニヒリズムも含まれていた。
ほら、こじらせているよね。
とにかく。ほしかったのはセックスフレンドではなくソウルメイトだ。
セフレならぬソルメ。
なぜ女子が望ましかったかといえば、居心地がよくてやすらぐし人心地がついてやわらぐからだ。(あらゆる意思や理屈をいったん受け止める強さと深さがあるからだ、と続けていきたいが、長くなりそうなので割愛)。青春期の男子は、女子といるほうが優しく穏やかになれる。男子同士でつるんでるとどうしても露悪・偽悪的なやんちゃぶりが出てしまいがちだし、高校と一緒にそういうノリとも卒業できた気がしていたタイミングでもあった。
一言で喩えると、軽音部や映画サークルなど、男女があまり分かれず結びつきが強い文化系サークルの部室なんかに見られがちな関係性と空気感を欲していた。でも部活やサークルという共通の居場所で狭く深くつながるのではなく、深夜帯のファミレスで、生活臭のするアパートで、旅行先の観光スポットで、いつどこであろうと部室の中に流れる世界観を無限に再現できる相手を求めていた。
ほら、こじらせているよね。
こじらせている人がこじらせているのは自意識、つまりエゴだ。
地方の進学校や都会の女子高出身の大学生ならきっと恋愛に対して前向きだろうし、男子と二人きりとなったらそれこそ恋愛を意識するだろうに、こちらの肥大した自意識であんぐりと包み込んでソルメになってもらおうとしていたのだ。セフレじゃないんだしプラトニックな部分は通じ合ってるでしょ、と共通項を見つけ出しては都合よく一緒くたにして。
面と向かって口に出して「おれたちソウルメイトだよね」と確認したことがないから相手はどう思ってたか知らないけど、こちらが勝手にソルメの殿堂に入れて祝福していた女子が幸いにもい(てくれ)た。
ふたりも。
今後のこの(断片と枝葉)シリーズにきっとよく出てくることだろう。
ここまでフルフレーズでも略称でも書き連ねておきながら、いまだに「ソウルメイト」も「ソルメ」もピンとこない。
しっくりくる呼び名はまだなくて、もう当時ほどこじらせてもいないからしっくりさせる必要もない。
内容を定義するなら、上の文をこう引用しよう。
いつどこであろうと部室の中(なんか)に流れる(ような)共感に満ちた世界観を無限に再現できる相手
ちなみに大学時代は〈友達以上恋人未満〉にひっかけてこう呼んでいた。
〈友達でも恋人でもなく異性〉
自然と惹かれ合い引きつけ合う異性同士の(生物学的な)性質を逆手に取ってみようとしたんだろう。
ね、こじらせていたでしょ。