
湯徳章紀念公園について
3月13日は2・28事件で、殉難した湯徳章(とう・とくしょう)弁護士の命日である。湯徳章は台湾の民主主義のために犠牲した方である。命をかけて台南市民を守った、その勇気を称えるため、市は2014年に3月13日を「正義と勇気の日」に制定した。おそらく彼の名前を沖縄で知る人はほとんどいないでしょう。
2013年1月、家人と一緒に台南ロハスの旅をした時のことだ。文学作品に興味ある私は、03年10月に開館された「国立台湾文学館」の見学は絶対に外せない思いから、市街地中心部のロータリー周辺を街歩きした。その時、文学館前のロータリー内にある緑の公園が湯徳章紀念公園であることを知った。
湯徳章の日本名は坂井徳章である。日本人の父と台湾出身の母の間に、日本統治時代の1907年に台南で生まれた。父は巡査だったが、1915年に発生した抗日武装蜂起の西来庵事件で犠牲になった。徳章は父の遺志を継いで、台南州警務部巡査となるが、32歳で退職。その後、内地に渡り、中央大学で聴講生として法律を学び、1943年に高等文官試験に合格して台南に戻り、弁護士事務所を開設した。
1947年2月28日、中国から台湾に渡ってきた国民党政権に抗議する群衆に対し、国民党軍は機銃掃射した。群衆の暴動は台北、台中、嘉義、台南、高雄と台湾全土に広がった。2・28事件発生後、徳章は「2・28事件処理委員会台南分会治安組長」として地方の秩序維持に努めた。台南での騒動が拡大しないように学生たちが決起しようとする現場に自ら乗り込み、巧みな弁舌で説得し、武器を回収して当局に返却していた。
3月9日、高雄港から上陸した当局の援軍は南部で鎮圧を開始。事件を沈静化させようとしていた徳章も逮捕された。当局はこの事件を機に、日本統治時代の知識階層を一網打尽しようとしたのであった。逮捕された徳章は、厳しい拷問を受けながらも決して決起に参加した学生らやエリート層の名前を漏らさず、13日、民生緑園で公開銃殺される間際には「台湾人、万歳!」と叫んで逝った。
徳章が自らの命と引き換えに多くの市民の命を救ったことは、38年間の戒厳令下でも密かに語り継がれた。台南市は、98年に徳章が処刑された公園の名称を「湯徳章紀念公園」とし、胸像を建立。台湾島内の228記念公園の中で、唯一犠牲者の名前で命名した記念公園となった。
辺野喜・陳宝来
