琉球には男色はあったのか?
男色というのは、衆道ともいい同性愛の事です。
日本では平安時代頃からあり、
貴族階級の高尚な趣味として江戸時代末まで
習慣として残りました。
主として女子禁制の宮中、寺社、
戦場に出る武士階級の中で盛んだったようです。
特に、薩摩藩では
江戸末期まで男色が盛んだったそうですが
その影響が琉球まで届いていたかは謎です。
ですが、それらしい概念が伝わっていた事は
玉城朝薫の手による執心鐘入に出てくるのです。
執心鐘入とは?
執心鐘入について簡単に説明します。
物語は首里に奉公にいく中城若松という美少年が
日が暮れたので、民家に一夜の宿を請う所から始まります。
そこには、娘が一人留守番をしていて、
両親がいないので変な噂が立っては困ります。
申し訳ないですが他所を当たって下さいと断ります。
しかし、若松はここで断られると命に関わりますとゴネて
根負けした娘が若松を出迎えると、その美貌に一目ぼれし
私と一緒になって下さいと若松に関係を迫ります。
しかし、若松は、私はこれから奉公にゆく身ですから
それは出来ませんと断り、諦めきれない娘は、
一緒になれないなら私は死ぬとストーカー化し
怖くなった若松は家を逃げ出して末吉寺に救いを求め
座主(住職)は若松を寺の鐘の中に隠すという内容です。
中城若松の美貌に惚れたのは娘だけではなかった
中城若松を受けいれた座主は、
3人の小僧を呼んできて
今から、女が追ってきて、
若い男が来なかったかと聞くだろうが
そんな者は来なかったと言って、
寺に入れてはならぬと言いつけます。
その後に3人の小僧のセリフが続くのですが
これがとてもあやしいのです。
小僧(一)
やかれよも座主が
かじめたる若衆
留守ならば互に
語る嬉しや
翻訳:悔しいな和尚さんが
ひとり占めした若者
和尚さんがいなければ
一緒に話が出来たものを
小僧(二)
あたら花盛り
一人しちならぬ
翻訳:あのような美少年を
一人にしておいてはならぬ
小僧(三)
御縁つくかたど
匂やうつす
翻訳:折角の御縁がついた美少年
残り香を身にうつしたい
小僧(一)
いや、すいさんな小僧
翻訳:いや下世話な俺達
ここで出てくる小僧さんは、
基本的に役に立たず、
結局、女の侵入を許してしまう
ダメな連中なのですが、
彼らは、若松に興味津々な事が分かります。
特に匂いを移すというのは、
床を共にして相手の残り香が欲しいという
婉曲的に肉体関係になりたいという事を
仄めかす意味なのです。
元々、男色は儒教倫理から考えると、
子どもを造れない人道に外れた行いだったので、
大っぴらに書物に書かれる事はありません。
それが流行していたかどうかは別として
朝薫が組踊に、こんなセリフを入れてしまう程
男色が上流階級では知られていて、
特に拒否反応を伴うものではなかった
という事は出来るのではないでしょうか?
琉球・沖縄の歴史を紹介しています